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作品をラノ読む 「働け、いつもお前は。そうだ働け、死ぬまで働け」 ――――筋肉少女帯〈労働者M〉 今日は楽しい双葉学園の文化祭。 大学生から小学一年生までみんなが参加する、年に一度のお祭りさわぎ。生徒たちがクラスで店を開いたり、何かを発表したりと大忙しだ。 ぱんぱんと花火が鳴り響き、今学園はいつも以上の賑やかさで溢れている。 学園のいたるところで出店が開いていて、その数はもはや手足の指を使っても数え切れないほどであろう。 その双葉学園の大きな中庭でも出店はいくつも並んでいる。ここは人通りが多く、店を出している人にはなかなか稼げる場所だという。事実たくさんの生徒たちがここで様々な店に立ち寄っている。 その一角に奇妙な四人組みがそれぞれ店を構えて座っていた。 「レイダーさん。ぼくたち一体なにしてるんですかね……」 その一人、長い前髪で片目を隠している少年アークジェットがそう溜息を漏らす。彼は双葉学園の制服を着ているためここの生徒であろうことはわかった。 「これも任務の一環だ。サボることは許さないぞジェット。ギガフレア、お前も今日はきちんと労働に勤しむんだ」 その隣に座っているのは髪を七三わけにして、いかにも生真面目そうな若い男であった。彼はレイダーマン、本名不明年齢不詳住所不定のどこでもコックである。 「そうは言うがなレイダー。僕は働いたら負けだと思っている。五月に一回死んでコンテニューしてわかったよ。人間死ぬ時は死ぬ。だからバカみたいに疲れるようなことなんてしたくねーわけよ」 そう息巻くのはギガフレアという少年であった。彼はぴこぴこと携帯ゲームをいじっていて、まるで接客をする気がないようである。というかそもそも彼はもう店を開く人間とはとても思えない格好をしていたのだ。 バカらしいことにギガフレアは馬の面の被り物ですっぽりと顔を隠してしまっていた。身体は学ランのため酷く不恰好で滑稽に見える。ある種の不気味ささえ感じてしまう。こんな格好をしていたら誰も客などこないであろう。 「ギガ……突っ込んでいいのかわからなかったがもう我慢できない。お前そのお面はなんなんだ!」 「しょうがないだろレイダー。僕だって好きでつけてるわけじゃねーよ! 僕が殺し屋って学園側に割れてるんだからこうして顔隠すしかないだろう。連中は僕のことを死んでると思っているんだからよ」 「それにしてもよくそんなお面つけてゲームできるねギガフレア。前見にくくないかい?」 ジェットは呆れながらギガフレアにそう尋ねた。 「僕を誰だと思っている。名人も真っ青のゲームマスターギガフレアだ。目を瞑っててもスーパーマリオをノーミスでクリアできるね」 「本当かよ」 「本当だとも。ゼビウスのバキュラだって破壊できるぞ!」 「……いやさすがにそれは無理だろ! バキュラに256発当てると倒せるってのはデマだから! ぼくも騙されたけど!」 「ちなみに水晶の龍《ドラゴン》でも野球拳に勝利して――」 「だからそれもデマだから! ぼくも騙されたけど!」 二人がそんなやりとりをしていると、きゃっきゃっとジェットの左隣に店を構える女の子が笑った。 「な、なんだよヴェイプ。何笑ってんだ?」 「えへへ、べっつに~。ギーちゃんとジェットって仲いいなーっと思って」 その少女は屈託の無い笑顔を彼らに向けた。その彼女の笑顔はとても可愛らしいもので、恐らくそんな趣味の無い人間でも少しぐっと来てしまうのではないだろうかと思うほどに可憐だった。 彼女の名はヴェイパー・ノック。仲間からはヴェイプという愛称で呼ばれている十歳ほどの女の子だ。ウサギの耳がついたパーカーを着込み、丈の短いスカートがちらちらと風に揺らめいて目のやり場に困ってしまう。 「なんだよそれー」 「ふん、僕は別に誰とも仲良くなる気なんてないね。こんな根暗っぽいキタローヘアーと友達と思われたくないぞ」 「根暗ってギガフレアに言われたくないよ! このオタメガネ!!」 「うるさい超シスコン!」 ぎりぎりと二人は睨みあったが、二人とも同時に「ふう」っと溜息をついた。 「やめようギガフレア。不毛だ。それより今は稼ぐことを考えないと」 「ったくこうも苛々すんのは全部カオスのせいだ」 彼ら四人はとある組織に所属していた。 その名もラルヴァ信仰団体“|聖痕《スティグマ》”である。彼らはその組織の殺し屋としてこの双葉学園に潜入しているのだ。 そんな殺し屋のはずの彼らがこうして店を構えているのにはわけがあった。彼らの上司である|這い寄る混沌《クローリング・カオス》という名の男からの命令があったのである。 ジェットはうんざりしながらカオスの言葉を思い出していた。 『いいかお前たち。今回の任務は資金集めだ。双葉学園の文化祭で稼いで来い。一番稼いだ奴は給料上げてやる。以上』 と言った具合である。なんとも簡素でそっけないが、いつものことなので彼らは諦めていた。まったくここはなんてブラック会社(?)だ、ぼくはもう限界かもしれない、とジェットは思った。 「なーんで僕たち殺し屋がそんな資金稼ぎしなきゃならんのだ。しかもこんな文化祭で」 「文句を言うなギガ。カオス様には何か考えがあるのかもしれないぞ」 「んー。でもカオス様は結局何を考えてるのかわっかんないよねー。というかカオス様って本当に人間なのかわかんないし」 「まあ命令なんだからしょうがないか。ぼくだって本当はクラスメイトと学園回りたかったんだけどさー。命令じゃあしょうがない」 「見栄はるなよジェット。お前みたいな根暗シスコンキタローヘアーに友達ができるわけがない。よかったじゃねーか文化祭で友達もおらず視聴覚室で一人ぽつんと映画鑑賞を延々とするよりは」 「なんだその妙にリアルな例え話は。誰かの体験談かよ! 寂しすぎるよ!」 しかし実際にジェットはクラスに友達が一人もいなかった。少し話す程度の仲である斯波涼一という生徒は恋人と学園を回っているようで、置いてきぼりを食らったのであった。こうして命令をこなすといういい訳ができてジェットは内心ほっとしていたのかもしれない。 「さあ、昼近くなってきたし、客も多くなる。お前たちも気を引き締めてやるんだぞ」 レイダーマンは他の三人にそう言い、店の準備を始めていく。 ジェットもギガフレアもヴェイプも、自分の店を開く。 彼ら四人の看板にはそれぞれこう書かれている。 ジェットは『びっくり電気人間! 電気に繋げず電球が光る!!』。 ギガフレアは『僕に勝ったら賞金一万! ゲーム対戦』。 レイダーマンは『世界の味がここに、最高三ツ星コックによる高級フランス料理』。 そしてヴェイプはシンプルに『チョコバナナ』と書かれている。 「おいなんだよジェット。お前何するんだよそれ」 ギガフレアはぷっとジェットの用意したものを見て笑った。彼の店には電球が一個置いてあるだけであった。 「何って、ぼくが子供の頃姉さんと祭りに行ったときにこういうのやってたんだよ。見世物の一種だね。ほら、こうやって――」 ジェットが電球に手を触れると、その電球が大きく輝き出したのである。どこにも電気は繋がっていないはずなのに電球は光り続けている。これは種も仕掛けも無い、なぜならジェットは体内電気を操る能力を持っているからである。電気を放電することは不可能でも、こうして直接手に触れれば電球程度なら電気を通すことが可能なのであった。 「凄いだろ。これ昔見たときは魔法かなんかかと思ってたけど、自分が出来るようになるとは思わなかったね。あの時の見世物小屋のおじさんも異能者だったのかもしれないけどさ」 ジェットは自慢げにそう語っていたが、ギガフレアは呆れたように馬のマスクから溜息をわざとらしく大きく漏らす。 「お前、ここが双葉学園ってこと忘れてないか。たかが電球光らせただけで驚く奴なんているかよバーカ」 その言葉を聞いてジェットは大きなショックを受けた。確かに電気系の能力者など大して珍しくも無く、どちらかと言えばジェットの電気能力はかなりへぼいのである。そんな平凡な見世物で客が来るとはとても思えなかった。 ジェットは自分の選択ミスに気づき、膝を抱えて落ち込んでしまった。 「ふん、まったくジェットは浅はかだな。文化祭の出店と言えば食べ物屋こそ定番だろう。奇抜なものをやろうとしても大概すべるんだぞ」 レイダーマンは自身ありげにそう言った。 彼の店は仰々しく簡易性の厨房まで用意され、その場で食べられるようにテーブルも沢山用意されている。看板の通りにフランス料理を作るようで、既にコックの服装に着替えていた。なんともその姿が似合っていて、どうやら彼が元料理人というのは本当のようだ。 「はははは、飢えた学生たちの腹を至福で満たしてやるぞ!」 「おおー! レイちゃんカッコイイ!!」 ヴェイプは働く男の姿を見て感動したのか、ぱちぱちと手を叩いている。それにレイダーマンも気をよくしたようで、鼻が天狗のように伸びているのが見える。 「けっ、何がフランス料理だ。気取りやがって。なあジェット」 「ぼくもフランス料理食べたことないな、大抵姉さんの手料理だったし」 「ふふん。お前たちも金払うなら作ってやるぞ」 そんなレイダーマンに対しても、ギガフレアはまたもバカにしたように溜息を漏らした。それにカチンときたレイダーマンは彼を睨みつける。 「おいギガ。なんだそれは。俺の作戦は完璧だろう」 「それのが浅はかだっつーの。いいかレイダー。こういう文化祭で、フランス料理食べに来る学生なんてほとんどいねーよ」 「な、そんなバカな! フルコースでたった五万の激安価格だぞ!! この俺の料理は本来十万以上からなんだ、そりゃもう行列ができるだろう!」 「どこがだよ! 文化祭の出店に五万払ってフルコース食う奴なんているかよ! 少しは考えろっての! ほれ見てみろアレ」 ギガフレアは彼の店に寄ってきた女子二人組みを指差した。中等部のようで、きゃぴきゃぴと可愛らしくはしゃいでいる。実に健全である。 彼女達二人は価格を見て、 「なにこれフランス料理のフルコース?」 「げっ。五万円だって。ありえなーい」 「だいたいこのメニュー読めないし」 「フランス語? わかんないよねー」 「それよりあっちおいしそうな中華料理の屋台があるって」 「ああ知ってる、肉なしのヘルシーなチャーハンが人気の奴だよね」 「そっちいこーよ」 「うん、行こう!」 と、彼女達はレイダーマンの店を素通りしてしまった。その反応を見てレイダーマンはがっくりと肩を落とす。 「な、なんてことだ。やはりガキ共には俺の料理は理解できないのか……」 「いや、そういう問題じゃないと思うぞ」 「あはは、レイちゃん気を落とさないで。レイちゃんの料理が天下一品なのは知ってるよ!ただちょっと考えが足りなかっただけだよ!」 と、ヴェイプの無邪気な言葉に止めを刺され、レイダーマンは現実逃避をするようにタマネギの皮を延々と剥き始めた。 「はは、タマネギ剥いてたら涙が出てきたぜ。あれ、剥いてたら無くなっちゃった。俺の人生みたいだ。はははは」 「レイダーさん……」 ジェットは自分と同じく失敗した者に同情の目を向ける。そんな彼ら二人をギガフレアは馬のマスクの上からでもわかるほどに笑っていた。 「ちくしょー。ギガフレア、お前こそなんだよその店! ふざけてんのかよ!!」 ジェットはギガフレアの店に目をやる。 彼のいる店にはテレビとゲーム機が置かれていた。そのゲーム機は凄まじく古いもので、ところどころ黄ばんでいる。白と赤のデザインで、カセットを差し込むタイプのゲーム機である。どうやら看板の通りにゲーム勝負をして勝ったら賞金というものらしい。ただし負ければ挑戦料五百円をとられるようだ。 「これは案外いい発想だろう。テレビもゲーム機も自前だから元値がかかってはいないし、僕がゲームで負けることなんてありえないからな! ふははははは!!」 ギガフレアは自身満々である。負けたら賞金一万円を払わなければならないというのはリスキーだと思うのだが、確かにギガフレアがゲームで負けるとは思えない。悔しいがジェットは彼のやり方に感心してしまった。だが、とある疑問が頭に浮かぶ。 「でもギガフレア。そのテレビとゲーム機の電気はどうするんだ。コンセントなんてどうやって繋ぐんだよ」 「………………あ」 ギガフレアはそんな小さな声を発した。どうやらそのことまで頭にいってなかったようである。なんとも間抜けな話である。電気が通わなければテレビもゲーム機もただのかさばるガラクタでしかないのだ。 一瞬空気が凍るが、ギガフレアは何か策を思いついたように手をぽんっと叩き、コンセントを持って立ち上がった。 「どうするんだギガフレア。長いコンセント数珠繋ぎにして校舎から供給するって手もあるけど電気泥棒なんてすぐバレて追い出されちまうぞ」 「ふふふふ。大丈夫だジェット。僕のすぐ近くに電源はある」 「へー。どこに? バッテリーでも持ってるのか?」 「それはここだあああああああああ!」 「ふぎゃああああああああああああ!」 ギガフレアはそのコンセントをジェットの鼻の穴に思い切り突っ込んだ。ふがふがと苦しむジェットを尻目にギガフレアはテレビの電源スイッチを押す。するとなんということであろうか、テレビはちゃんと点いたのである。 「さすが万国びっくり電気人間。役に立つじゃないか」 「ほまへはなひをふるんだ!」 「ん~? 何を言っているかわからないなあ。お前は僕専用の電気製造機としてここに座ってろ! お前の見世物小屋も同時出来て一石二鳥だろ」 ギガフレアは高笑いして勝ち誇っていた。そんな彼はその隣のヴェイプの『チョコバナナ』と書かれた店を見てにやにやと笑っている。 「おいおいヴェイプ。チョコバナナ屋なんてそんな面白みのないのでいいのかよ。まあ他の二人に比べればマシだが、このままじゃ僕の完全勝利だね。これでカオスの野郎は僕のことを認めるに違いない。もう僕を雑魚キャラだなんて呼ばせないぞ!」 ヴェイプはにこにこと笑いギガフレアの挑発など気にしてはいないようである。 「えへへ。やっぱ出店と言ったらチョコバナナだよギーちゃん。私は勝ち負けなんてどーでもいいもーん。楽しければいいもーん」 ヴェイプはギガフレアに向かってべーっと舌を出した。確かに無邪気な彼女にとって勝ち負けなんてのは些細なことで、学校に通っていないからこのような学園規模のお祭り騒ぎというものに心躍っているのだろう。そう思ったジェットは後でヴェイプと一緒に学園を回ってみようと考えていた。だが、幼いヴェイプを連れまわす図というのは変な誤解を招きかねないのが難点だ。ジェットはシスコンであってもロリコンではない。と、信じたい。 彼ら四人がそうして店の準備を済ませると、どこからか下品な笑い声が聞こえてきた。ジェットたちが対角線上の店に目を向けると、そこには『射的屋』と看板に書かれた店にニット帽を目深に被り、円盤をじゃらじゃらとつけたジャケットを着込んでいる奇妙な格好をした男が、ギターを抱えてこちらを見ていた。 「おたくら景気はどうでっかー? ぼちぼちって感じやないのは顔みればわかるけども。はははは! ほんま辛気臭いで! ほれ、笑顔笑顔! 笑顔は客と福を呼ぶんやで~♪」 彼の姿を見て、レイダーマン、ギガフレア、ヴェイプの三人は反応を示した。 「スピンドル!」 「げっ、スピン!」 「スピンだ! 久しぶり~」 と、彼の名を呼んだ。ジェットは一人面識がなかったため、鼻にコンセントを突っ込んだまま呆然としていた。 「れ、レイダーさん。この芸人みたいな格好をした男は誰ですか?」 「お前は初めて会うのか。あいつは俺らと同じ聖痕の殺し屋――」 「黄金軸《スピニングスピンドル》のスピンドルくんや。あんたが噂の新入りやな。よろしゅうしてや。その鼻のコンセントはお洒落かいな、おもろい新入りやのう、こりゃ俺も負けてられへんわ。はははは!」 スピンドルは笑いながらフォークギターをぼろろろんと鳴らしている。妙にテンションの高い男を前にジェットはただ唖然とするしかなかった。ギガフレアもうんざりとした顔をしている。彼らにとってスピンドルのようなこてこての芸人タイプはやはり苦手のようだ。 「おいスピン。お前はここで何をしている。ついに殺し屋やめてカタギにでもなったのか?」 ギガフレアは苛々しながら皮肉を込めてそうスピンドルに尋ねた。 「アホぬかしいな。殺し屋は俺の天職やで。こんなところで店開いとんのはおたくらと同じ理由や」 「同じ理由?」 「そう、おたくらの上司のあの顔の覚えられへん影のうっす―――――――――いおっさん、名前なんやったっけ? フローリング……バブルス?」 「もはや原型留めてねえ! そんな海外版はともかくマイナーな国産版のアニメのキャラ名なんて誰も知らんわ!! クローリング・カオスだ、クローリング・カオス!」 「そうそうそのカオスのおっさんから『お前も稼いでこい』って言われたんや。給料アップも嬉しいんやけど、それ以上に勝負となれば血がたぎるのが関西人の性や! 負けへんで」 「お前関西人じゃないだろ。このエセ関西弁」 「細かいこと言うなや~。ギーはもうちょいカルシウムとったほうがええでほんま」 「うるせえ! ああもうこいつは本当に調子狂うぜ」 ギガフレアは諦めたように店のイスに腰を下ろした。 すると、ヴェイプがぴょんぴょんと小さな身体を跳ねさせながらスピンドルの射的の景品に興味を示していた。 「ねえねえスピン! それちょうだいよ、その熊のぬいぐるみー!」 景品には大小さまざまなものがあったが、ヴェイプの視線の先には大きな可愛い熊のぬいぐるみが置かれていた。だがその大きさはどう考えても射的の弾で落とせるものとは思えない。 「いんちきじゃねえか!」 と、ギガフレアは真っ当な指摘をする。だがスピンドルはぴーぴーと口笛を吹き、そっぽを向いて聞こえないふりをしていた。 「言いがかりはやめてくれや。ちゃんと落としたものは景品として持って帰ってもらうんや。ただし、落とせたらの話やけどな!」 「げ、外道~!」 四人はスピンドルのせこさに呆れていたが、射的屋というのは基本的なお祭りの出店で、ある程度の需要は確保できるため恐らく稼ぎはそこそこいくだろう。スピンドルは余裕の表情で「ボインはぁ~赤ちゃんが吸うためにあるんやでぇ~♪ お父ちゃんのもんとちがうのんやでぇ~♪」などと歌いながらギターを弾いている。 「うー! その熊ちゃん欲しい! 欲しい!」 ヴェイプは目を輝かせながらスピンドルの射的屋まで足を運んでいた。どうやら相当その熊のぬいぐるみが気に入っているようである。 「駄目やでヴェイプ。ちゃーんとお金払って撃ち落さないとあかんでー。まあ、がんばりやー」 ヴェイプは射的代三百円を払って射的の銃を向けて撃つが、かすりもしなかった。いや、たとえ全弾命中してもあのぬいぐるみは落とせないであろう。半泣き状態になっているが「そんな顔しても駄目や。ルールはルール! 規則は守らないとお母ちゃん怒るで!」と、スピンドルは笑っていた。 「おとなげねー」 「うっさい! こっちも商売や、情け無用!」 スピンドルは扇子を広げて自分の顔を扇ぎ、はははと豪快に笑っていた。ヴェイプは諦めたようで、自分の店に戻ろうとしたところ、彼女の前に一人の女生徒が現れたのであった。 その少女は長いポニーテイルに、凛々しい顔立ちをしていて、その腕には『風紀委員』の腕章が輝いている。彼女はヴェイプが離れた射的の銃を掴んだ。 「ネーちゃんやるんやったらお金払ってや」 少女は無言のまま千円札をスピンドルに渡し、銃を構えた。 「撃ち落したのは、全部貰えるんだよね?」 「勿論や。それは保証するで。まあ落とせたらの話やけど」 そんな少女をヴェイプは期待の目を向けていた。銃を構えるその姿からは歴戦のスナイパーの空気が漂ってきているのである。 「ファイヤ」 そう呟いたあと、彼女の銃から放たれた弾は景品に当たった。それはまぐれではないようで、凄まじい速さで次々と弾を装填し、店にある全部の景品を一つも外すことなく撃ち落していく。 「おおおおお~~~~~!!」 スピンドルを除く四人は驚きと尊敬の声を上げる。スピンドルはもう完全に表情が固まってしまっている。 そして最後に残ったのは熊のぬいぐるみである。これを落とすのは物理的に不可能であると思われたが、その少女は熊のぬいぐるみの頭の先の同じ部分を連続で何発も撃ち、重心を揺らして落としてしまったのであった。なんという神業であろう。だが少女の表情は涼しく、当たり前のことをしただけだ、といった風である。 「さあ、その景品全て貰おうか」 スピンドルは「とほほ……」と呟いて景品を袋につめてその少女に渡す、すると少女はその景品をヴェイプに差し出した。 「……え? いいのお姉ちゃん」 「ああ、私はこんなの持って歩けないしね。あげるよ。それにこれも――」 そのまま少女はあの大きな熊のぬいぐるみもヴェイプに渡した。ヴェイプは嬉しそうにぎゅーっとぬいぐるみを抱きしめている。 「ありがとうお姉ちゃん!」 ヴェイプは天使のような満面の笑みを彼女に向けた。すると、少しきつい印象のする彼女の顔も緩くなり、ちょっとした笑顔をヴェイプに見せた。 「聖《ひじり》さーん。もう、こんなところにいたのね。駄目じゃない見回り中に遊んじゃ」 と、同じく風紀委員の腕章をつけたメガネの少女が彼女のところに駆け寄ってきた。 「おっと、見つけられたか。それじゃあね」 っと、少女はヴェイプの頭を撫で、メガネの少女と共にその場を去っていった。 「かっこいー……でもどこかで見たことあるような」 ヴェイプはそう呟いて彼女の姿が見えなくなるまでその方向を見ていた。対してスピンドルは景品を全部持っていかれて頭を抱えていた。そんなスピンドルを見てギガフレアはひひひとイヤらしく笑っている。 「おいおいどうしたスピンドル。今からどうするんだ?」 「ぐぬぬ。もう店仕舞いや。覚えておけ、この借りは必ず返してやるさかい!」 「借りって僕はなーんもしてないぞ。まったく今回は僕の一人勝ちだな」 「バーカバーカ! ギーのアホー!!」 「なんだとこのヒッピースタイルがああああ! バカって言うほうがバカなんだこの超バカ!」 「なんやて、この超ウルトラバカ!」 「超ウルトラデラックスバカ!」 「超ウルトラデラックスギャラクシーバカ!」 二人の罵り合いを見てレイダーマンとジェットは呆れかえっていた。 「低レベルすぎる……」 『争いは同じレベルの間でしか起きない』という先人のありがたーいお言葉を思い出し、彼ら二人は同時に溜息をつく。 言い合って満足したのか、スピンドルは店を畳んで去っていってしまった。 「ふん。やはり僕の店が一番だな」 「そうは言うがまだ客一人も来て無いじゃん。このままだと少なくとも千三百円稼いだスピンドルが一位だぞ」 ジェットは得意がっているギガフレアに現実をぶつけた。確かにまだ彼のゲーム対戦の店には誰も来ていなかった。 「なあにこれからさ。一人でも挑戦者が現れれば僕の実力を見せつけられるからね。そうすればギャラリーも増えて挑戦者が増えるはずだ。お、ほれ見てみろ、鴨がネギしょってやってきたぞ」 そう言ってギガフレアが指差す方向から二人の男女がやってきた。 女の子のように可愛い顔をした少年と、髪を二つに結っていて豊満な胸をもつ少女であった。 「もう、ついてこないでよお兄ちゃん。私は伊万里ちゃんと一緒に廻るの!」 「そんなこと言うなよ弥生ぃ……。だいたい巣鴨さんは彼氏の斯波くんと一緒なんだろ、だったらいいじゃないか僕と展示とか見ようよ。ほら、この双葉神社百年の歴史とかいいじゃないか。面白そうだ」 「文化祭のクラス展示を本気で見る人なんていないよお兄ちゃん」 「なに、僕のクラスの『自家菜園のコツ』のレポート展示をディスったな!」 「地味! なにそのやっつけ。お兄ちゃんのクラスっていつもなんかやる気ないよね」 「しょうがないだろクラスメイト半分くらいしかいないんだから、出来ることも少ないんだよ。まったく、うちのクラス呪われてるのかなぁ」 などと会話しながら彼らはこの中庭をのんびりと歩いていた。二人の顔立ちはよく似ていて、兄妹ということがよくわかる。飛鳥《あすか》と弥生《やよい》の藤森《ふじもり》兄妹である。 ギガフレアはそんな二人に目をつけたようだ。 「知ってる顔かギガフレア?」 「僕が潜入している時に同じクラスだった藤森だ。隣にいるのは妹のようだな。糞、あんないい乳した妹がいるなんてどこのギャルゲーの主人公だ。恥掻かせてくれるわ!」 馬のマスクを揺らしながらギガフレアは彼ら二人の前に飛び出した。弥生が「きゃあ」っと声を上げて飛鳥にしがみつく。そんな様子を見てさらにギガフレアの嫉妬心は燃え上がっていた。 「そこのお兄さんゲーム対戦やってかないかい。一回五百円だよ~。もし僕に一勝でもするれば賞金一万円プレゼントするよ! 妹さんにかっこいいところ見せちゃいなよ!」 ギガフレアは声色を変え客引きを始めた。全然キャラが違うため、少しの間一緒だったはずの飛鳥も彼が死んだはずのクラスメイトだとは気づいていないようであった。 「へーゲームか。僕も小さい頃明日人《あすと》とよくやったな~」 飛鳥はギガフレアの口上に乗って店を見渡した。そこには懐かしいゲームソフトがたくさん置いてある。ノスタルジーに浸るには十分なほどであろう。 「もうお兄ちゃん。ゲームなんかいいでしょ。先行くよ」 「待ってよ弥生。お兄ちゃんの勇姿を見てよ! 僕が勝って賞金もらったら弥生に色々買ってあげるからさ!」 飛鳥は懇願するように弥生を見つめた。弥生は「はあ……」と溜息をついて、 「じゃあちょっとだけだよ」 と、そう言った。苦労の絶えなさそうな妹である。許可が出たため、飛鳥はお金を払い、対戦席に座ってギガフレアと相対する。馬のマスクを被っているのを不審に思ったが、文化祭ではこのようなお調子者は沢山見かけるので特に何も言わなかった。 「おおー。本当に客入れしちゃったぞギガフレア」 「ゲームのこととなるとテンション上がるからなあいつ」 「ギーちゃんがんばれー!」 観戦モードの三人は遠目でギガフレアと飛鳥の対決を見入っていた。飛鳥はまじまじと年季の入った旧式のゲーム機を見ている。 「ねえ、なんのゲームで対戦するんだい」 飛鳥はわくわくしながらレトロゲーの山を見つめている。ギガフレアは黙ってそこから一本のカセットを取り出した。 それはマイナーだがなかなかの良作の対戦型格闘ゲームである。中国拳法をテーマにし、ゆったりとした動きが特徴的なゲームだ。一人プレイ用ではRPGの要素もあり、きっとマイナーゲーム好きなら楽しめるものであろう。……これだけの説明でゲーム名がわかった人はすごい。 「ああこれやったことあるなぁ。懐かしい」 「ふふふ、では勝負をしよう」 ギガフレアはカセット下の部分をふーっと息で吹き、ホコリを散らす。こうすることで古くなって電源のつきにくいカセットは息を吹き返すのだ。 こうして二人はゲームを開始した。だが、そのゲームはやはりスロウリィで、絵的にすさまじく地味なので描写を割愛。ともあれギガフレアはゲームが別に得意ではない飛鳥をハメ技で蹂躙しまくっていた。それはもう見ているほうが引くほどにギガフレアはムキになっていたのだ。 「ふははははは! 僕の勝ちだ!!」 飛鳥の持ちキャラの|HP《ヒットポイント》がゼロになり、飛鳥は当然の如く敗北する。 「そ、そんな……」 がっくりと肩を落とし飛鳥は落ち込んだ。弥生は呆れたように大げさに溜息をつく。 「もう満足したでしょお兄ちゃん。さあ私は行くからね!」 弥生はその場を立ち去ろうとしたが、飛鳥は懇願するように彼女の腕を掴んだ。 「頼む弥生! お金貸してくれ!! 次こそ勝つから!!」 弥生はその言葉に心底うんざりしたが、飛鳥の美しくも濡れた瞳に見つめられると何も言えなくなってしまう。綺麗な顔立ちで駄目男という母性本能をくすぐる彼のようなタイプは確実に女性を不幸にするだろう。だが、犠牲になる女性は絶えないのだ。いやほんとイケメンとか滅びれば良いのにね。 「もう、しょうがないなー。あと一回だけだよ。はい」 弥生はさっと飛鳥に五百円玉を渡した。すると飛鳥は「よーし! もう一勝負だ!」と声を張り上げてギガフレアにお金を払った。 それを見てジェットらは「ああ、ギガフレアの術中にはまっているな」と苦笑いになっていた。飛鳥ははりきってコントローラーを振り回すがやはりギガフレアが圧勝してしまう。その後も弥生にすがり、何度も戦ってはみたが全部惨敗であった。 「…………」 飛鳥は死んだ目でブラウン管を見つめていた。 いい加減可哀想になってくる。 「もうお兄ちゃんのライフはゼロよ! やめてあげて!!」 「くくくく、やはり僕に勝てる奴はいないな。ふははははははは!!」 ギガフレアは落ち込んでいる飛鳥を見て高笑いをしていた。ボロ儲けである。 「ねえもう無理だよお兄ちゃん。もう行こう」 「嘘だ……ありえない……。こんなに戦っているのに一度も勝てないなんて……」 弥生が話しかけるが、飛鳥の耳にはそれが届いていないようで、なにやらぶつぶつと独り言を呟いている。 その様子は実に不気味で、顔つきもなんだか無機質で無表情になっている。 「これは何か細工されているんじゃないか……だとするなら“ボク”が勝てないのも納得できる……」 「どうしたんだお前。何を言ってるんだ?」 ギガフレアが不審に思ってそう尋ねると、飛鳥は突然立ち上がりこう言った。 「キミはインチキをしている。だからボクが勝てないんだ! これは詐欺行為だ! キミこそが世界の歪み……成敗してくれる!!」 「ええー!?」 「お兄ちゃん!?」 とんでもない言いがかりにギガフレアが困惑していると、 「はいそこまで! 誰にでもクレームつけるんじゃありません!!」 という声が聞こえ、誰かが思い切り飛鳥の頭をひっぱ叩いた。 「………………はっ、僕は一体。って牧村さん!」 飛鳥が振り向くとそこには可愛らしい小柄な女生徒がいた。どうやら彼女が飛鳥の頭を叩いて正気に戻したようだ。 「もう、藤森くんってばいつもそうだよね。その癖治したほうがいいよ。本当」 「あ、牧村さんこんにちは。いつも兄がお世話になってます」 「弥生ちゃんこんにちは。大変だね、こんなお兄さんがいて」 少女ら二人はそう言って笑いあっていた。彼女は牧村優子《まきむらゆうこ》。飛鳥のクラスメイトの女の子だ。妹の弥生と同じようにいつも飛鳥の突飛な行動にいつも悩まされていた。同じ悩みの種を持つ者同士優子と弥生は結構気が合うようであった。 「ねえ弥生ちゃん。一緒に学校廻ろうか。アイス食べに行こうよ」 「あ、いいですね。行きましょう行きましょう!」 二人は談笑しながらその場から去っていってしまった。それを見て飛鳥は半泣き状態で追いかける。 「ま、待ってよ弥生~。牧村さーん」 「もう、ほら藤森くん。早く来ないと置いてっちゃうぞ~」 ギガフレアはぽかーんとしてコントローラーを握っていた。あんなに可愛い妹と女友達がいるのを見て、試合に勝って勝負に負けたとはこのことだろうと魂レベルで理解した。 「うう……」 「……ギガフレア。お前は今泣いていい!」 ジェットはぽんっと彼の肩に手を置いた。だが飛鳥のおかげでそれなりの稼ぎが出たのは事実で、ギガフレアのこの店は成功と言えた。 「よかったじゃないかギガ。あんな客一人で結構稼げて」 「……ふふふ。そうだな。ぼ、僕の大勝利に揺らぎはない。どんな相手がこようと僕は負けないぞ。そうだ、賞金を上げてやろう!」 「おいおいえらい景気がいいな」 「さっきの藤森のおかげで金が溜まったからな。これを使ってさらに賞金を上げればもっと客が食いつくだろう。我ながら完璧なアイデアだ!」 「グッドアイディア!」 そう言いながらギガフレアは『賞金一万円』の看板を倍の『賞金二万円』にマジックできゅきゅっと書き直した。 さっきの飛鳥との対戦を見ていたギャラリーはちらほらいて、賞金が跳ね上がったのを見て大いに騒いでいる。 「ふふん。いい調子じゃないか」 そんな中、男女二人組がこちらに近づいてきた。赤いマフラーをなびかせる中等部の男の子と、八重歯が特徴的な可愛らしい女の子であった。 「ねえハヤハヤ、あれ! あれ面白そうじゃん!!」 「ええー。あんな胡散臭いのやめようよ紫隠」 その二人は言わずと知れた醒徒会の書記、加賀杜隠《かがもりしおん》と庶務、早瀬速人《はやせはやと》である。クラスの出し物や醒徒会の仕事が一段落して適当に廻っているようだ。 「げっ……! あれは醒徒会の連中!!」 ギガフレアは身体を硬直させる。以前ギガフレアは醒徒会のメンバーにこっぴどくやられてしまったことがあった。その時は副会長と会計監査にやられたのだが、この二人も強敵だということを聖痕の資料に書かれていることを思い出した。もし自分が聖痕の殺し屋とばれてしまえば、またやられてしまうだろう。 ギガフレアは馬のマスクをきちんと被り、顔が絶対見えないように気をつけた。 「はいいらっしゃい。一対戦五百円です。僕に一度でも勝てば賞金二万円!」 「へーそりゃいいねー。にゃははは。おっと財布忘れちゃったよ~。はやはやお金貸して!」 「何度目だよ紫隠。俺の財布ももうからっけつだよ……」 「大丈夫だって、今勝って賞金貰うからそれですぐ返してあげるってば♪」 加賀杜は自身ありげにそう言い、対戦席に座った。早瀬は溜息をつき、ことのなりゆきを見守るしかなかった。 そしてギガフレアと加賀杜はコントローラーを握り、例の格闘ゲームのスイッチを入れた。 だが、その瞬間そこにいる全員が驚愕することになった。 「な、なんじゃこりゃああああああ!」 思わずギガフレアはそう叫んでしまう。彼はテレビ画面を食い入るように見つめている。そこに映し出されたのは単調な電子音を放つ陳腐なドット絵ではなく、ハードロック調の音楽が鳴り響く超美麗3Dグラフィックであった。 「な、なんだこのゲームは!」 全員同じ顔でシンプルなデザインのキャラクターだったはずが、ひどくかっこよくなったり、本来ならいない美少女キャラなどがそこには映し出されている。どう考えてもこのゲームソフトとゲーム機ではありえないクオリティである。 「にゃははは。なにこれーすごーいキレー」 加賀杜は大笑いしてその画面を見入っていた。馬のマスクで表情は見えないが、内心ギガフレアはかなり焦っている。恐らく馬のマスクを外せば滝のような汗がいっきに流れ出るであろう。 この在りえない事態は全て加賀杜の異能によるものである。彼女は触れたものの能力を増幅させることができる。そのため彼女がコントローラーを握った瞬間、ゲーム機とゲームソフトのスペックを極限まで増幅させてそれを可能にさせていたのであった。 「さあ始めよっか」 加賀杜はスタートを押して勝手にゲームを始めてしまう。ギガフレアは慌ててコントローラーを握りなおす。 「く、くそ。どうなってんだこりゃあ」 「お、おい頑張れよギガフレア! なんかすごい電気喰われるぞこれ!!」 ジェットはコンセントを鼻に刺したままギガフレアを励ます。なにやらおかしな事態になっているが、ジェットはギガフレアならば勝ってくれると信じていた。 だが、 「…………だめかもしんない」 そうギガフレアは呟いた。きっとマスクをつけていなければとんでもなく情けない表情の彼の顔が見れたことであろう。 そうしてゲームは戦闘を開始し、ギガフレアは何も出来ないまま一瞬にいて勝負がついてしまった。 当然画面上で倒れているキャラクターはギガフレアのものである。 「にゃははは。アタシの勝ちだー!」 「…………おい。お前ゲームは最強なんじゃなかったのか」 「…………3Dは酔う。気持ち悪い。操作の仕方がわからない。最近のゲームは難しいよ」 ギガフレアは魂の抜けたように淡々とそう言った。どうやら彼はレトロゲーなどしか 興味のないようで、この手の最新ゲームは一切理解できないようであった。それが敗因となり、加賀杜にあっさり負けてしまったようだ。 「じゃあ賞金は貰っていくね。んー、こんなんでこんなに貰っていいのかな」 そう言って加賀杜は満面の笑みで賞金二万円を掴んでいった。 「さあハヤハヤ! これでいっぱい遊ぶよ!」 「すげーや紫隠。これで豪遊できる――って先にお金返せよ!」 わいわいと騒ぎながら二人は去っていく。飛鳥の時の稼ぎを全部賞金に回していたため、結局ギガフレアは赤字となってしまった。ギガフレアは放心状態で机に突っ伏してしまった。どうやら泣いているらしい。 「結局、ギガも駄目だな」 と、レイダーマンは呆れながら言った。 「ぼくら全員駄目ですね。ああ、そういえばヴェイプのチョコバナナ屋はどうなってるんですか?」 ジェットはヴェイプの店に目を向ける。 どうやらようやくチョコが溶けきったようで、今からバナナにぶっかける段階のようだ。これから店を開店させるらしい。 「なにのんびりやってんだよヴェイプ。遊んでるから遅くなるんだぞ」 ヴェイプはニコニコとバナナにチョコをかけたりトッピングしたりして急がしそうである。 「えへへへ。大丈夫だよぉ。今からたくさん稼ぐからー」 「チョコバナナ屋ねえ。確かに定番だが、俺のフランス料理に客が来ないのにそんなところに客が寄るかな」 「いや、レイダーさん。あなたの店よりは全然マシでしょう。ともあれ、このままじゃさっきのスピンドルが一位になってしまいますからね」 ジェットとレイダーマンがそう言っているうちに、店の準備は出来たようで、早速チョコバナナを買いに一人の男子生徒が立ち寄った。 「すいませーん。一本下さい」 「はーい。一本千円になりまーす」 ヴェイプは笑顔でそう言った。その異常価格に男子生徒は言葉を無くし、ジェットもレイダーマンもぽかーんとしていた。 「え……? 千円って、これ普通のチョコバナナだよね」 男子生徒が困惑しながらそう尋ねると、 「そう、これは普通のチョコバナナだよ。でもここはチョコバナナを売る店じゃないの」 そう言ってヴェイプはおもむろにチョコバナナを舐め出した。 それにはまたもみんな驚愕した。客ではなく、自分がチョコバナナを食べるというのは一体どういう店なんだろうか。 ヴェイプはチョコバナナを舌でちろちろと舐め、下の部分から舐め上げていく。 「……ちゅぱちゅぱ……んっ……すごい、大きい……お口に入りきらないよぅ」 時折口に含んだり、上下に動かしたり、上目遣いにしたりと――これ以上はラノオンリーになるので以下略。 それを見た男子生徒は前かがみになりながら黙って千円を払っていった。それを見ていた近くの男子生徒たち我先にとそのヴェイプの店に押し寄せ、行列が出来ていく。 「チョコバナナのほかにも、もう千円払えばカルピスのオプションもつくよ♪ みんないっぱい注文していってね」 と眩しいくらいの笑顔を彼らに向けていた。末恐ろしい幼女である。 「っていうかこれいいのか! 風紀委員ー! 早くきてくれー! 未成年の性が乱れていますよー!」 ジェットの叫び声は虚しく空に響き、ヴェイプのチョコバナナ屋が売り上げ一位を獲得したのでありましたとさ。 おわりんこ トップに戻る 作品保管庫に戻る
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元が縦書きなのでラノをおすすめします pat.1をラノで読む あと感想、批評をスレに書き込んでくれるとありがたいです(今巻き込み食らって返事返せないですが) FILE.3〈キャスパー・ウィスパー侵略:part.1〉 ※ 夜遅く、ひっそりと静まり返る醒徒会室で、青いサングラスをした長身の男が考え込むようにソファに腰をかけていた。 彼の名はエヌR・ルール。 ルールは双葉学園における黒歴史、オメガサークルの前身である兵器開発局が生み出した異能の力を持った人造人間だ。今まで魂を持たない人形しか生み出せなかった兵器開発局が何万体という失敗作の上に唯一造り上げることができた存在であり、魂を持つ者にしか許されない異能の力も彼は保有していた。 違法なる科学の遺物。 哀れなる運命の落とし児。 彼は先日に出会った放火魔のことを考えていた。 世界を憎むような目で、異能の炎をもってして街を燃やし尽くそうとした少年、最後には自分自身を焼き尽くして死んだ彼のことを思い返していた。 (彼は一体何者だったんだろか。それに“彼女”とは何のことだ。それに先日起きた合同実習での生徒の暴走事件、一体この学園に何が迫っているのだ) 風紀委員である逢洲等華が巻き込まれた二年と一年の合同実習で起きた事件。それはある生徒たちが突然彼女と二名の一年を攻撃したことである。 その攻撃をしかけた生徒たちは逢洲に倒され、捕らえられたが、彼らが目を覚ました時に話を聞いてみたが、彼らは何も覚えていないらしい。 (逢洲が言うにはその生徒は操られていたようだ、と言っていたが、もしそんな危険な洗脳能力者がこの学園に身を潜めているとなると早々に手を打たないと大変なことになるかもしれない) 彼はこの放火事件と洗脳事件に何か同じものを感じていた。 (もっと共通点はないのだろうか。この二つの事件は根底が同じような気がしてならない。街を焼き尽くせるほどの能力者と、人を操るほどの能力者。この二人が何かの組織に所属しているとなると、底が知れないな) 彼はこの二つの事件の資料に目を通す。 そこに二人の人物が共通していることに気づいた。 (一年Z組の転校生と“アウト・フラッグス”の巣鴨伊万里か。偶然なのだろうか) ※ ――頭が痛い。 双葉学園の寮の一室でオフビートはベッドに寝転がりながら頭を抑えて呻いていた。 小柄で可愛らしい顔をしているが、今はこめかみに血管を浮かせ、眉間に皺をよせている。 オフビートは違法科学機関オメガサークルに派遣された工作員で、今この学校の中では斯波涼一という偽名で生活をしていた。 彼に与えられた任務はとある少女の監視と護衛。 オメガサークルがなぜ彼女を特別視しているのか彼にはわからない。 同じく敵対組織であるラルヴァ信仰団体“スティグマ”がなぜ彼女の命を狙っているのかも知らない。 知らないことだらけだ――オフビートは頭の痛みと同じくらいに自分の存在意義に対して頭を抱えていた。 彼には七歳以前の記憶がない。 オメガサークルの開発と処置という名の“改造”により彼はそれまでの記憶を一切消されていた。本当の名前も生い立ちも何もかも根こそぎ奪われた。 それゆえにオフビートの世界はオメガサークルが全てだったのだ。 任務の中でしか彼の居場所はなく、ただ自分を造りあげた組織に対する服従が彼の生きる意味だった。そこに今までは疑問をもたなかった。 しかしこの任務で彼は外の世界に触れ、そして彼女に出会った。 巣鴨伊万里。 あの笑顔の似合う赤毛の少女との出会いが彼の価値観をぶれさせていた。 (わからない。俺は一体なんで彼女のことを任務と関係なく護りたいと思ってるんだろうか。これが“好き”ってことなのか。お笑いだな、俺みたいな組織のモルモットが人と恋愛だなんて) 彼が天井を見上げながらぼんやりとしていると部屋のドアを誰かがノックした。 まだ転校して数日しか経っていないので、彼の部屋を訪ねる人物は限られていた。オフビートの返事を待つことも無くノックの主はドアをためらいも無く開けた。 「グッモーニン。具合はどうなの涼一君」 そこに立っていたのはオフビートのお目付け役であるアンダンテであった。寝起きなのか長い髪を頭に纏めているが、伊達であるにも関わらずメガネだけははずしていない。 「なんのようだアンダンテ。つかなんだその格好」 部屋に入ってきたアンダンテは年に似合わずなにやら可愛らしいパジャマを着ていた。裾や袖にフリルがついており、柄にはファンシーな動物の絵が描かれていた。パジャマが小さいのか、彼女の豊満な身体が収まりきれていないようで、割とピチピチである。 「木津先生と呼びなさいって言ってるでしょ。それに私が何着ようと勝手でしょ。それともこういう服は十代までしか着ちゃいけない法律でもあるのかしら」 「別にいいけど、直視できねーよ」 「あら、そんな憎まれ口聞いていいのかしら。ようやく機関の研究所から薬を取り寄せてあげたのに」 アンダンテはパジャマのポケットからアンプルを取り出した。 「ようやく来たか。早く注射してくれよ。頭が痛くてしょうがねえんだよ」 「慌てないの。ほら、身体の力抜いて」 この薬は別に怪しいものではない。いや、オメガサークルの薬というだけで怪しいというには十分かもしれないが、害になるようなものではない。これは能力を酷使して疲弊した脳に対する安定剤のようなもので、ギガフレアと青山という能力者と連日戦ったためにオフビートの身体は限界まできていた。オメガサークルの改造人間である彼は常人よりも傷の直りが早いが、それでも脳と精神に異常な負担がかかっていた。 オメガサークルの改造により無理矢理能力の底上げがされているために、オフビートは自分の能力の負荷に身体が耐え切れないのである。 普通に使っている分には大丈夫だが、連日の戦いのように能力の限界まで酷使すれば当然ながら過負荷がかかるのだ。 「さあ、動かないでね。ちくっとするわよ」 動けないオフビートをいいことにアンダンテはオフビートの上に馬乗りになった。 「うわ重てえ!」 「重たい言うな! さあ早くお注射しちゃいましょうねー。ああ、なんだか久しぶりでドキドキしちゃう。これぞ科学者の醍醐味よね。動けないモルモットを研究の名のもとに蹂躙するのがたまらなく興奮するわ」 「目がこええよ! 何を興奮してるんだ、落ち着いてやってくれよ!」 アンダンテはハァハァと荒い息使いで彼に迫り、その首もとに注射器を刺しこんだ。 わりと針が太いため、激痛が走るが、過負荷による脳の痛みよりは耐えられるものだった。オフビートの頭の痛みは嘘のように引いていく。その薬がすぐに脳に回っていくのがわかる。 「ふぅ、これで落ち着いたか」 「確かに痛みは引いたでしょうけど、しばらくは能力の使用を出来るだけひかえることね。少しは身体を休めなければ駄目よ。勿論、あなたの命より任務を優先すべきだけど」 「へっ、相変わらず厳しいね」 「それに、任務だけじゃなくてあなたも彼女を護りたいでしょ? 命に代えても。いいわねえ青春ってやつね」 「なんだよ、俺と伊万里のこと知ってたのかよ」 オフビートはアンダンテから目を逸らす。任務以上の関係を監視対象と結ぶなんて工作員としてはあるまじき行為である。その後ろめたさがオフビートにはあった。 「私はあなたのことをなんでも知っているのよ涼一君」 アンダンテは馬乗りの体勢のままオフビートの顔に自分の顔を近づけた。あと少しで唇と唇が触れるような距離である。 「別にいいのよ、あの子の監視と保護のためには恋人というのが一番やり易い関係だものね。でも、本気になっちゃ駄目よ」 アンダンテはオフビートの目を覗き込むように語っている。そこにるのは双葉学園の教師、斯波涼一の従姉である木津曜子ではなくオメガサークルの研究員兼工作員の“アンダンテ”である。 「もし、機関があの子の監視の結果で“処理”することが決まったら、あなたはどうするのかしらね。あの子をちゃんと殺せるの? それともあなたは私たち機関に“反逆”するのかしら? “反逆”できるのかしら? あなたの居場所は機関にしかないのに。あなたを受け入れる世界なんてこの世にはどこにもないのに」 オフビートはそんなアンダンテの気迫に押されていた。 「わかってるよ・・・・・・」 彼が呟くようにそう言うと、アンダンテは一瞬で笑顔になる。 「よろしい。聞き分けのよい子ちゃんにはご褒美のキスをあげよう」 アンダンテはそのままオフビートにキスしようとしたがオフビートは慌てて彼女の顔を押し上げる。 「やめろっつーの! 欲求不満なのかよあんた!」 「しょうがないじゃない、研究に魂捧げてても女という呪縛からは逃れられないのよ。それにあなた結構可愛い顔してるのよねぇ」 オフビートとアンダンテがベッドの上でそんなことをしていると、突然部屋のドアが開けられた。 「斯波君おはよう。頭痛治った? まだ調子悪いなら今日の約束は――」 と、ノックもせずにこの部屋に入ってきたのは話題のオフビートの恋人である伊万里だった。オフビートとアンダンテは同時に「あっ」と間抜けな声を発してしまった。 ベッドの上で妙な体勢でくっついている二人を見て伊万里は青ざめていた。 「もう、バカ! 信じられない、不潔よ!」 双葉学園の都市部で伊万里とオフビートは二人で歩いていた。 今日は日曜のため学校は休日で、二人は都市部にある巨大デパート“ラウンドパーク”に買い物にやってきた。ある意味これはデートと言うべきものであろう。 ラウンドパークはほぼなんでも揃っているため、双葉学園都市に住む人々の生活の基盤にもなっている。日曜ということもあり、今日は学生たちで溢れかえっている。 初デートに気合を入れているのか、伊万里は普段よりもめかしこんでいる。小さなリボンの付いたワンピースに、綺麗なガラのチェックのスカート。チャームポイントの赤毛もいつも以上に手入れがなされていた。対照的にオフビートはTシャツにジーンズといういかにも適当な服装である。 「だから誤解だって。薬打ってもらってただけだよ」 「本当かしら、あんな格好で? しかも従姉弟同士で、しかも教師と生徒なのに! 一体いつから双葉学園は淫徳の教室になったのよ!」 初めてのデートだというのに女教師といちゃいちゃしていたオフビートに伊万里はぷりぷりと怒っていた。そんな彼女を困ったようにオフビートは呆けている。 「あんまり怒るなって。ほら、アイスショップがあるぞ、奢ってやるから機嫌直せよ。何味がいいんだ?」 「何よ、そんなアイスで釣られるほど私は安い女じゃないわ! ・・・・・・ペパーミントアイス」 デパートの一角にあるアイスショップでオフビートは自分用のチョコチップと伊万里のためにペパーミントのアイスを買ってきた。行列が出来ていたため、少し時間がかかってしまったが、食い意地の張った伊万里は根気よく待っていた。 二人はベンチに腰掛けて、大人しくアイスを舐めている。 伊万里は自分の隣でアイスを黙々と食べている少年を横目で見ていた。 (なんとなく斯波君とこんな関係になっちゃったけど、まだ『付き合ってください』とか『好きです』とか言ってないのよねお互い。本当に恋人同士なのか自信ないなぁ) ふはぁっと溜息をつきながらアイスにかぶりついた。ここのアイスはなかなか人気で、昼過ぎには完売してしまうらしい。爽やかなミントの風味が口いっぱいに広がっていく。 伊万里は自分の気持ちを考えてみる。 彼とはまだ会って数日間しか経っていない、だが恋愛というものに時間は無意味だ。し かし彼女自身もまだ本当にオフビートのことを好きなのかどうか判断に困っていた。 死線を一緒に潜り抜けたための錯覚ではないか、などとも考えてしまう。 (私は斯波君のどこが好きなんだろう。それに、本当に斯波君は私のこと好きなのかな) 自分の気持ちも相手の気持ちもわからないなんて、それで本当に恋人同士と言えるのか、そんなことは恋愛経験がいままでなかった彼女にはわからない。 (そんな細かいこと今考えてもしょうがない、か。うん、今は斯波君とのデートを楽しもう) 伊万里は、よし、と言いながら勢いよく立ち上がった。 「ねえ斯波君。私これから水着買いたからつきあってくれるかしら」 「はぁ? 水着? 今まだ五月だぞ」 「なんで嫌そうな顔するのよ、水着の試着イベントなんて男子にとってご褒美でしょ!」 「いや、お前のその平坦な身体見ても何も嬉しくな――」 言いかけるオフビートの顔に鉄拳が入る。伊万里が思い切りぶん殴ったのである。 「誰が人間ドラム缶よ。悪かったわね、どうせ木津先生みたいなあんな巨乳がいいんでしょこの変態!」 「変態というかむしろ健全な男子はツルペタに欲情しないぜ」 「ツルペタ言うな!」 またも二人が騒いでいると、伊万里のアイスがぽろっとコーンからこぼれて、伊万里のスカートの上にぼとりと落ちてしまった。 「あ~~~~~~~!!」 「あーあ」 伊万里はお気に入りのスカートが汚れてしまって泣きそうになっていた。チェックのスカートに緑色のペパーミントアイスが染み込んでしまう。 (もう最悪! せっかく今日のために可愛いの選んできたのに・・・・・・) 伊万里が自分の不運に呆然としていると、何を思ったかオフビートは自分のシャツをびりっと破いた。伊万里は一瞬彼が何をしているか理解できなかったが、 「ほれ、拭いてやるから大人しくしてろよ」 と言われて、吃驚していた。彼女のアイスを拭くために自分の服を破いたのだ。 「ちょ、ちょっと!」 「動くなっての」 オフビートは破いた服で出来た簡易性ハンカチで伊万里のスカートを拭いている。ある意味きわどい所に手を置いているため、伊万里はドキドキしながら顔を真っ赤にしていた。オフビートはそんな伊万里の様子を気にすることもなく黙々と拭いていた。 「も・・・・・・もういいわよ斯波君」 「遠慮するなよ。スカートの中は濡れてないか? 大丈夫か?」 と、オフビートはピラッとなんの悪気もなくスカート軽くめくった。 「なんだお前その年でリボン付きなんて穿いてるのか。しかもピンク。ガキっぽいなぁ」 「・・・・・・・・・・・・」 「木津先生は紐つきとか穿いてたな。まぁ俺は別にこんな布切れに興味ないけど」 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・死ね――――――――!!」 伊万里はそのまま足を振り上げてオフビートの顎を蹴り上げた。 時を同じくしてラウンドパークのフードコートで、一人の美しい少女がコーヒーを飲んでいた。安物のコーヒーであるにも関わらず、飲む仕草には気品さえ感じられる。 その少女はまるで人形のように美しく、長く艶やかな黒髪に、真っ黒なドレスを着込んでいた。いわゆるゴスロリと呼ばれる服装ではあるが、あまりに似合っているためにこの場に浮いてるとは言えない。むしろ間違っているのはこの場の風景ではないかと思わせるほどの美しさを兼ね備えている。 少女の名は西野園ノゾミ。 彼女は自身を“キャスパー・ウィスパー”と呼んでいる。 そんな彼女の懐からトロイメライの音楽が流れてきた。携帯電話の着信音である。ノゾミは電話を取り出して、耳にあてた。 「首尾はどうなの?」 ノゾミは挨拶もせずにそう尋ねた。その声は冷ややかで、その見た目とは反するように冷酷な印象を持たせる。だが、どこか逆らいがたい迫力があった。 「そう・・・・・・そう・・・・・・じゃあそのまま待機してなさい。状況が整ったらまた連絡するわ。他の連中にも伝えておきなさい」 そう言い終わると、ノゾミは相手の返事もまたずに電話を切ってしまった。 ノゾミが再びコーヒーを口につけようとした所である人物がノゾミの目の前の席に腰を下ろした。 「あら、貴方が学園都市にくるなんて珍しいわね“クローリング・カオス”」 “クローリング・カオス”と呼ばれたその人物は、特に印象のない、いや、あまりに印象が無いために、逆にそれが特徴と言えるほどの、まるで顔が無いと錯覚しそうな雰囲気を持つ青年だった。年は二十代過ぎといったところであろうが、それより下か上とも言われても納得できそうである。 「不用意にその名で呼ぶのは止めていただきたい」 「いいじゃない。どうせ誰も話なんて聞いてないわ。ここにいる人間たちは他人に関心が無いのよ。誰も彼もみんな自分だけが可愛い、気持ちの悪い連中よ」 「ふん、彼らもお前みたいな魔女にそんなことは言われたくないだろうな」 「そうね、でもそんな彼らだから私の能力に簡単にかかるのね。意志の弱い人間に生きている意味なんてあるのかしら」 「あまり自分の能力を過信しすぎない方がいい。相手は仮にもギガフレアを倒した死の巫女なんだからな」 「わかってるわよクローリング・カオス。きっちりいつも通り私なりの回りくどい、安全で臆病な方法でやらせてもらうわ」 「ふん、期待しているぞ。この戦いは我々“スティグマ”にとっての聖戦なのだからな」 「まったく仕事の話もいいけど貴方も何か頼みなさいよ。たまにはパフェなんか――」 一瞬メニューに目を向けた瞬間、もう目の前の席には彼はいなかった。まるで最初からいなかったかのように消えてしまったかのようだった。 「忙しいわね。慌しい男はもてないわよ」 ノゾミは誰に語りかけるでもなく独り言のようにそう呟いた。 「いてて・・・・・・そういえば今日、弥生はどうしたんだ」 蹴られた顎を押さえながらオフビートと伊万里は破れた服と汚れたスカートを新調するためにカジュアル服コーナーに足を運ばせていた。 「弥生は今日他の友達と約束があるっていって出かけちゃったよ」 「へぇ、あいつお前以外にも友達いたのか」 藤森弥生は伊万里の親友である。 不器用で人見知りをするタイプの弥生は同性の友達もあまりいないはずだった。 「そうね、私以外に友達がいるって聞いたことないわ。もしかしたら私たちに気を使ってくれてたのかもね」 伊万里は服を姿見で合わせながらそう答えた。どうやらスカートだけではなくほかの服にも興味がいっているみたいだ。こうしていると実に普通の可愛らしい女の子である。 「でもあの子最近変なのよ」 「変? 弥生がか?」 「うん。なんだかぼーっとしてて・・・・・・まぁそれはいつものことって言えばそうなんだけど。でも何かが変なのよ。いつも明るいあの子なのに、最近はなんだか元気が無いというか、あんまり私とも話してないし」 「なんだ寂しいのか。いいじゃないか。弥生だっていつまでもお前に依存してるわけにもいかねえだろ」 「まあ、私も弥生が独り立ちできるなら嬉しいわよ。弥生ももっとクラスに溶け込んだほうがいいもの。でも、やっぱり何かが違うのよ。何かが決定的に変っちゃったって感じ」 伊万里は少し真剣な顔でそういった。それは親友を心配する表情でもあった。弥生は幼い頃からの親友であるため、彼女にとってはかけがえの無いモノの一つである。 「もしかしたらこないだの合同実習のことを引きずってるのかしらね。あの子逢洲先輩にすぐにやられちゃったし。よく考えるとあの日から弥生の様子がおかしい気がするわ」 「それで落ち込んでるのかな。じゃあ今度俺らで励ます会でもやろうか」 「あら、いいねそれ。斯波君にしては気が利くじゃない」 二人はそんな談笑しながら服を買っていた。なぜかオフビートは伊万里の服を奢らされていた。そもそもオフビートの資金源はオメガサークルから流されてくる物で、オフビート自身はお金に固執をしていなかった。 「ねえ斯波君。このデパートの屋上にある観覧車は見た?」 「ああ、見たってかイヤでも目に入ったぞ。なんで一デパートにあんな観覧車があるんだよ」 デパートであるはずのラウンドパークの屋上になぜか設置されている小型の観覧車。 それは初めにデパートが建設されたときはそれが目玉の一つで、それを目当てに学生のカップルたちが押し寄せたものだが、それから数年経った今では日に二、三組が使用すればいいくらいになっていた。 「ねえ、あの観覧車乗ろうよ」 「はぁ? あんなん乗ったら笑いもんだぞ」 「いいじゃない、だって今日は私たちの――」 伊万里は言葉をそこで途切れさせてしまった。『だって今日は私たちの初デートじゃない』そう続けようとしたのだが、デートというのを意識してどうにも恥ずかしくなってしまったようだ。伊万里としても初めてのデートなのだから、何か思い出が欲しかったのだろう。その結果が観覧車なんてあまりにベタ、あまりに乙女すぎて自分でもキャラじゃないな、と伊万里は思っていた。そんな伊万里の思いを、オフビートは知ってか知らずか、 「まぁいいや、乗ってみようぜ。俺も今までああいうのに乗ったこと無かったし、いい機会だ。誰かに笑われてもお前と一緒ならそれも悪くない」 そう言ってもじもじとスカートの裾をいじってる伊万里の手をとって屋上に向かった。 「目標が移動したわ。B班は作戦Fの場所に移動しなさい」 ノゾミは目の前のカップルが移動するのを見て、誰かに電話をしていた。 その目には先程のコーヒーを飲んでいた少女の面影はなかった。その目に宿っているのは明確な殺意。触れるもの全てを深淵に飲込むようなそんな暗く、おぞましい雰囲気がその瞳にあった。 ノゾミの隣にはさっきまでいなかったのに、もう一人少女が立っていた。その少女は髪を二つに結っている可愛いらしい少女であった。 しかしその少女の目には光はなく、どこを見ているのかわからない。そこには意識があるのかすら疑わしい。 「・・・・・・・・・・・・・・・」 「さあ、行きましょう弥生さん」 こうして恐るべき魔女キャスパー・ウィスパーとオフビートとの死闘の火蓋が気って落されたのである。 「小型っても近くで見ると案外迫力あるな」 オフビートと伊万里は屋上に上がり、目の前の観覧車を呆然と見ていた。屋上にはちょっとした出店と、百円コインで動く動物の乗り物などが置いてあった。数人の客がいるくらいで、がらんとした空間が広がってる。 「私も今までは外からしか見たことなかったから、乗るの初めてなのよね」 伊万里は自分の手を握っているオフビートの手の温もりを感じていて、少し顔を紅潮させていた。 今までこうして男の子とデートしたり手を繋いだりといったことを彼女はしたことがなかった。そんな自分が出会って数日しか経っていない少年とこうして付き合っているということが未だに実感できなかった。 しかしある意味憧れである彼氏との観覧車デートということで、伊万里の気分は高まっていた。 「ね、ねえ。早く乗ろうよ!」 「慌てるなっての。別に観覧車は逃げないだろ」 二人はやる気のなさそうな観覧車の従業員にお金を渡して、乗せてもらおうとした、しかしその時伊万里に妙なものが見えたのである。 「あ・・・・・・。斯波君、頭に・・・・・・」 それは旗だった。伊万里にはオフビートの頭に旗が見えた。 それは伊万里の異能である“アウト・フラッグス”によって見ることが出来る死を予言する旗であった。その旗が頭に現れた人間には、すぐ近くに死が迫っているのである。 その伊万里の異能を知っているオフビートは伊万里のその言葉に顔を青ざめる。 「おい、まさか・・・・・・。ちっ!」 オフビートはばっとあたりを見回した。すると、どこからか伸びている赤い光が彼の眉間のあたりに当たっていた。 「し、斯波君?」 「伊万里、お前はこの中にいろ!」 そう言ってオフビートは伊万里を突き飛ばして無理矢理観覧車の個室に押し込めた。従業員が「ちょ、お客さん!」と言うのを気にせず自分で鍵をかけた。 「いいか、窓から顔を出さずにずっと伏せていろ。わかったな」 「ま、まってよ斯波君! あなたはどうするのよ!!」 「俺は、この死の脅威を叩く」 オフビートはすぐその場を駆け出した。 やがて観覧車が動き始め、回っていく。まるでこれから動きだす運命を暗示するかのように。 オフビートを狙っている赤い光。 それは彼が実戦演習で何度も見たことがあるものである。それは射撃の照準。撃ち出されるは鋼鉄の弾丸。その赤い光の元を見ると、そこはこのデパートの隣に建っている廃ビルの屋上である。 視力が秀でているオフビートにはそこに狙撃中を構える男がはっきりと見えた。 (こんな街中であんなもん使うんじゃねえっての!) その銃を構えた男は何の迷いもなくオフビートに向かって引き金を引いた。銃声が響いたが、それは思ったよりも小さく、小さな爆竹が一瞬爆ぜるような音で、あたりの人間はそれに誰一人気づいてはいなかった。 それに感づいたオフビートは銃の照準ラインに右掌を構えた。 高速で発射された弾丸がオフビートの掌を吹き飛ばす、はずであったが、逆にその弾丸がオフビートの掌に弾かれてしまった。 そのオフビートの掌は僅かに光っている。 これがオフビートの異能、絶対防御の“オフビート・スタッカート”である。両掌に高周波のシールドを展開させ、その手に触れるものは全て遮断される。 連続で発射される弾丸を何度も弾きながらオフビートは向かいのビルに向かって駆け出した。このデパートと向こうのビルまでには十メートルほどの幅があるが、オフビートは助走をつけたまま屋上のふちから跳躍をした。 普通ならばそこからジャンプして届くはずがないのだが、改造により身体機能をいじられている彼にはその程度は問題ではなかった。 廃ビルの屋上に着地を成功させたオフビートはその着地の衝撃を和らげるためごろごろと転がっている。そうして体勢を整えてる隙に、銃を持った男はその場から逃げ出した。その男をよく見ると、まだ若い、いや、少年と呼べる年代である。それどころか双葉学園の制服を着ているため、間違いなく学園の生徒だとオフビートは確信した。 「待て、逃げるんじゃねえ!」 オフビートもすかさず追いかける。男子生徒は屋上から下階に続く階段を駆け下りている。その後を追っていくが、男子生徒はすぐ下の階の一室に入っていった。 この廃ビルは廃ビルだけあってあたりは散らかり、まったく手入れがなされていなかった。自分から袋小路に入っていった男子生徒をオフビートは、しめた、と思いながら追い詰めた。しかし、追い詰められたのは自分のほうだと気づいた時にはもう遅かった。 その部屋にはナイフを持った五名の少年たちが待ち構えていた。 (ちっ――罠か!) 彼らは一斉にオフビートに襲い掛かってきたが、オフビートは彼らの攻撃を異能の掌で次々と防いでいく。彼らがナイフで切りかかってこようが、オフビートの“オフビート・スタッカート”には一切通じない。彼らの動きはどうにも素人のようで、オフビートにとってその彼らの動きは止まって見えるのも同然である。しかし人数の差は大きく、オフビートの動きも段々鈍くなっていく。 オフビートは防御の合間に拳や蹴りを彼らに叩き込んでいくが、彼らはまるで痛みを感じていないゾンビであるかのように動じず攻撃の手を休めない。 (なんなんだこいつら、俺を殺す気でかかってきているのにまるで殺気を感じない。まるで機械を相手に戦っているみたいだ――) オフビートは彼らの光の無い瞳を見つめる。それは先日起きた合同実習の事件、青山と和泉たちと同じ目であった。 (なるほど、こいつらも操られているのか。青山やと和泉は動きが単調だったが、こいつらはどうにも精密な動きをしている、これはあの時と違って操ってる奴が近くにいるってことなのか――) オフビートの推理は的外れではなかった。意識の無い彼ら傀儡がここまで正確にオフビートに攻撃を仕掛けられるのは今このときすぐ隣のデパートから魔女キャスパー・ウィスパーが直に指令を出しているに他ならない。 魔女の存在をまだ知らぬオフビートにはまだ現在の状況を把握できなかった。 しかし一般人が敵に操られている以上むやみに殺したりは出来ない。そもそもオフビートの異能は攻撃に適してはいないし、武器も持ち合わせていなかった。 (だからといっていつまでも防御ばっかしてても無意味か) 後ろに回った敵の一人が彼に向かってナイフを突き刺そうとしてきたのをオフビートはまたも掌でそのナイフを受け止める。 しかしその時彼の頭に激痛が走った。痛みで思わず身体がぐらりと揺れる。 (ぐっ――。これは、まさかこんなときに!) オフビートはアンダンテの言葉を思い返していた。 彼は連日の戦いで脳と精神が疲弊しているのである。まだ能力が本調子でないために、またこの脳の痛みがぶり返してしまったようだ。 オフビートは激痛に耐えながら彼ら傀儡と対峙する。オフビートの調子に構わず彼ら傀儡はオフビートに襲い掛かってくる。 「ぐっ、しつけーんだよ!」 またもナイフによる突きを右掌で受け止めようとしたとき、オフビートの右手にも激痛が走った。それは絶対防御の両手をもつオフビートが今まで味わったことのない痛みである。 ナイフがオフビートの掌に突き刺ささり、貫いたのだ。 (そんな――馬鹿な!) 手には血が滲み、驚きと痛みでオフビートが一瞬怯んで腰を屈めると、傀儡の一人が思い切りオフビートの顔を蹴り上げた。ただでさえ痛みがある頭を揺すられて、オフビートの意識は飛びそうになっていた。鼻からも血を流し、なんとかその場に足をふんばることに成功した。 (そうか、一時的に能力が使えなくなってるのか・・・・・まずいな) 絶対防御の能力が使用できない以上、改造人間のオフビートと言えどナイフで突かれれば刺さるし、銃で撃たれれば死ぬだろう。まさしく絶体絶命。身体中の痛みで意識もいつ途切れるかわからない。そして、その時が最後になる。 傀儡たちはオフビートの動きがよろめいてきたので、一気に畳みかけようとナイフを構えている。そして連中は息を合わせて一斉に飛び掛ってきた。 オフビートは避けようと身体を動かそうとするが、上手く身体が言うことをきかない。もはや大人しく串刺しにされるしかなかった。 (畜生、こんなところで死ぬのか俺は――伊万里!) オフビートは死を覚悟して目を瞑ったが、いつまで経っても連中は攻撃を仕掛けてこなかった。オフビートが恐る恐る目を開けると、傀儡たちは呻きながら床に突っ伏していた。彼には何が起こったのか理解できなかった。 その倒れている人たちの中で、小さな人影だけが、悠然と立っていた。 それは小柄で可愛らしい少女であった。小さな体躯であるにも関わらず、彼女が纏う空気には威風堂々たるつわもの雰囲気があった。 その少女はカチューシャにリボンをつけていて、タンクトップのシャツにハーフパンツといったラフな格好であった。子供っぽい印象を受ける八重歯がよく似合っている。 オフビートはその少女に見覚えがあった。 そこに救世主のごとく存在するその少女は、最強の七人と呼ばれる醒徒会の書記係、オフビートの同級生でもある加賀杜紫穏であった。 「加賀杜・・・・・・紫穏。なんでここに」 「にゃははは満身創痍だね斯波っち。まあ細かいことは気にせず、とりあえずこの状況を脱却しようよ」 口含んだ飴玉をコロコロと転がしながら、そう不適に笑う加賀杜の手には黒いネズミのぬいぐるみが握られていた。このデパートのゲームセンターで取ってきたと思われるもので、片方の手に握られている紙袋にはいっぱいぬいぐるみが入っていた。それ以外には何も手にしてはおらず、武器らしいものは何ももっていない。 (武器も持たずにどうやってこの連中を・・・・・・) そう思っていたが、傀儡たちは完全に気を失っていたわけではないらしく、またもゾンビのように立ち上がってきた。それを見た加賀杜は、 「しっつこいなー。そんな男の子は嫌われるよ」 そう言って紙袋からもう一体ぬいぐるみを取り出した。それは黄色い熊ぬいぐるみで、加賀杜は両手に一体ずつぬいぐるみを握り締めた。 「じゃじゃーん。二刀流! なんつってね」 何の冗談か、加賀杜はぬいぐるみを構えて傀儡攻撃の備えている。 (無茶だ、あんなぬいぐるみで連中を――) オフビートの心配は杞憂でしかなかった。 それはまるで現実とは思えぬほどのシュールな光景である。ぬいぐるみを手にもつ少女が、五人のナイフを持った暴漢たちを次々と薙ぎ倒していくのであった。ナイフを突きさしてきても、ぬいぐるみの柔らかなボディに吸収されるが、ぬいぐるみが傀儡たちの身体に当たると、轟音を立てて彼らは吹き飛んでいくのである。 (そうか、これが彼女の能力か・・・・・・なんて恐ろしいんだ) 彼女の能力は手に触れたもの威力を最大限に底上げする能力である。彼女が手にしたものはたとえ綿で出来たぬいぐるみであろうと恐るべき鈍器へと変貌を遂げる。 「にゃは。どう? 驚いた斯波っち? この能力を研究者は“効果付属”なんて呼んでるんだけど、あんまりアタシは戦いとか好きじゃないんだよね~。でもこういうとこに居合わせたらやるっきゃないっしょ」 そんな軽口を言いながらも次々と傀儡を気絶させていく。しかしその加賀杜の攻撃から逃れて、オフビートの元に傀儡の一人が駆け寄ってきた。加賀杜に危険を感じて、殺しやすいオフビートへと標的を戻したのだ。距離があるため、加賀杜もそっちの対応には間に合わないであろう、素早くナイフをふり上げ、オフビートに切りかかろうとした瞬間、ナイフが音を立てて折れてしまった。 折れたナイフとともに、飴玉がコロコロと一緒に床に落ちた。それはさっきまで加賀杜が舐めていた飴玉である。傀儡が呆然としている隙に、その傀儡もまたぬいぐるみで殴り倒してしまった。 「まさか・・・・・・」 「そのまさかだよ斯波っち。ふふん」 加賀杜は得意げに口を尖らせてた。恐ろしいことに彼女があのナイフにしたことは“ただ飴玉を口から飛ばした”それだけに過ぎない。ただそれだけでナイフを折るほどの脅威をあの飴玉に宿らせていた。 (なんなんだこの規格外の能力は・・・・・・。もし彼女が軍用兵器などを手にしたら一体どうなんるんだ・・・・・・それこそ世界の脅威になりえるほどの能力じゃないか・・・・・・) 加賀杜は手から血を流しているオフビートの手を握り締めた。 「あっ、なにを・・・・・・」 「動かない方がいいよー。痛そうだねぇ、でも大丈夫。アタシが触れれば人の持つ治癒能力も促進できるんだ。まぁ、それほど効果はないんだけどこの程度なら出血止めるくらいは出来るよ」 オフビートの顔から苦痛が消える。傷は完全に塞がりはしないが、どうやら痛みと出血は引いていったようだ。 「それで、斯波っち。色々と説明して欲しいんだけどいいかな」 「・・・・・・・・・・・・」 「言いたくない、か。まあわかるけどさ。アタシもエヌルン――うちの会計監査なんだけど、そいつに頼まれなきゃキミの尾行なんてしなかったよ。趣味じゃないし」 「尾行?」 「うん、まあただデートしてるだけだったからアタシも途中で尾行さぼってゲーセンで遊んでたんだけど、まさか見失ってるうちにこんなことになってるなんてねー」 まさか自分の“兄”のような存在であるエヌR・ルールに目をつけられているとは思いもしなかった。だがオフビートはまだ一連の出来事についていけなかった。 「ねえ斯波っち。キミは一体何者なんだい?」 加賀杜の言葉に、オフビートは言葉を詰まらせた。 「俺は、俺は自分が何なのかわからない」 「わからない?」 「俺には過去がない。今自分を縛っているのは他人に与えられた存在理由と居場所だけだ」 オフビートは呟くようにそう言った。 「過去がない、自分がわからない――か。そうだね。そういうのって怖いよね」 加賀杜は少し同情、いや、共感したような顔でオフビートを見つめている。加賀杜は優しく彼の手を握り締めている。 「私もこの学校に来るまでの記憶がね、一切ないんだ。でもそんなのどうだっていいじゃない」 「どうでもいいだなんてよく言えるな、俺は、俺は・・・・・・」 オフビートは吐き捨てるようにブツブツと言っている。しかし加賀杜はそれに腹を立てることもなくオフビートの顔を覗きこんだ。 「記憶がないからって自分がわからないなんてことはないよ。大事なことは“今”にあるんだから。キミが守りたいと思う大切な物は“今”にこそあるんじゃないの。少なくともアタシはそうだよ、醒徒会のみんな、学園のみんなを護ることに過去の自分なんて必要じゃないさね」 「大事なもの・・・・・・護る――あっ」 オフビートはぼんやりとした頭を一気に覚醒させる。彼が護るべき少女を思い出して、彼はふらつく身体に鞭を打って立ち上がった。 「ちょ、まだ立ち上がっちゃまずいって・・・・・斯波っち!」 加賀杜の制止を振り切り、オフビートはその場から駆け出した。 加賀杜は彼を追いかけようとしたが、その場に倒れている少年らを放っておくわけにもいかずに、オフビートを見送ってしまった。 「なんだかわかんないけど、青春だにゃー」 観覧車が一周し、伊万里は特に何も無くデパートの屋上に戻ってきた。 しかし死の旗が見えていたオフビートが戻ってきていないことに彼女は心配していた。 「だ、大丈夫かな斯波君。でも彼っていつも死の旗が逃れてきたし大丈夫なのかも・・・・・・」 などと根拠もないことを呟いたが、やはり心配であるには変わりないようで、顔は青ざめていた。 オフビートが戻ってこないのでどうしたものかと立ち尽くしていると、突然携帯電話が鳴り出した。着信元を確認して、伊万里はすぐに電話をとった。 「もしもし弥生? どうしたの電話なんて」 一瞬間があったが、すぐにいつものか細い弥生の声が聞こえてきた。 『伊万里ちゃん、あのね、斯波君がこっちで倒れているの』 「え? 本当? 場所は? うん、、わかった。すぐにそっちに向かうわ!」 伊万里はすぐにその場を駆け出して弥生の指定した場所に向かった。 これが魔女の罠だと知るわけもなく、伊万里は今まさに死地に向かっているとは露ほどにも思っていなかった。 part.2につづく トップに戻る 作品投稿場所に戻る
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カーテンの隙間から真っ直ぐ差し込む、熱い日差し。 雅は目を覚ました。部屋の温度はかなり上がっており、首周りが汗ばんでいる。もう夏も近いのかもしれない。 そろそろ毛布一枚でも大丈夫なころかなと、横に寝転ぶ。そして、言葉を失う。 栗色の髪をした幼い女の子が、隣で寝ているのだ。人の布団に包まれてすやすやと眠っている。 「うーむ」 雅は選択に迫られた。この少女を放置して、朝ごはんでも買いにコンビニへ逃げてしまうか。それとも、このまま何事もなかったかのように二度寝をしてみるか。いずれにせよ、この子を起こしたら何やら厄介なことになってしまいそうな気がしていたのだ。 しかし、立浪みくはうっすら目を開けると、雅がそこにいるのを見て笑顔になる。嬉しそうだった。 「おはよ・・・・・・」 「お、おはよう」 みくは雅の胸に寄り、体をぴったりとくっつけた。にこにこしながらぎゅーっと引っ付き、離れない。しばらくそのまま時間が経過していった。 「これはどういうことだい、お嬢さん」 「お部屋に帰るのが面倒だったから、あんたの部屋で寝ただけよ」と、ニンマリしながらみくは言う。「どうせ朝食も夕飯も私が作るんだし、ここで暮らしちゃったほうがいいじゃない」 「ま、まあそれは言えてるなあ・・・・・・あれこれやってもらってるし・・・・・・文句は言えないし・・・・・・あれ? うーん?」 「私たちはパートナー。二人で一人なんだから、これぐらい心が通い合ってても、ステキなことだよね」 「あ、パートナーなんだ俺たち・・・・・・」 雅がそう言うと、うるっとみくの両目に涙が溜まった。 「なんでもない、悪かった。お前がいなくちゃ、回復だけの俺は戦えないし飯も食えない。お前と俺はずっと一緒だ」 「大好き」 みくは、顔を雅の胸にうずめた。 (何でこんなことになってしまったんだ・・・・・・?) 雅は小さな体を抱きしめてあげながら、人としての道を踏み外して転げ落ちていることに困惑していた。 ガサガサと森を掻き分けて、脅威は静かに接近しつつあった。 横長で細い切れ目は、絶対に何があっても破壊対象を逃すことはないだろう。口を全く開くことのない冷徹な無表情で、その男は森を進みゆく。 茹で上がりそうな蒸し暑さも、森の深さも気にならない。彼の目的はただひとつ、「目標の異能者グループを殲滅させること」 「来ましたね」 と、水分理緒は後ろにたたずむ男子生徒に言う。「準備は大丈夫ですか?」 「いつでもいけますよっと。それじゃ、作戦通りにやってみましょっか」 彼は腰の太い鞘に手を描けると、たくさんある剣のうちから一本を取り出した。 「四宝剣『繚龍』・・・・・・!」 西院茜燦(さい せんざ)は、コンクリートのまっさらな壁を見つめる。 四方をコンクリートのフェンスで囲ったこのフィールドが、今回の戦闘訓練場所である。雑草生い茂る殺風景な箱庭の中、特殊な異能力訓練は始まった。 凝視していた壁の一点が、ドゴッと砕ける。穴が穿たれ、拳が突き出てきた。その穴から巨漢が顔を覗かせた。感情を表に出さないキツネ顔は、殺害対象がそこにいるのを確認すると、ひび割れた壁を片腕のみでなぎ払い、すべてを派手に崩壊させた。 がらがらとナイアガラのように崩れ落ちるフェンスを、茜燦は冷たい目をして眺めている。かくしてフィールドはコの字になった。全身がねずみ色に塗装された男に、茜燦はこう言った。 「ま、来るなら早く来てくれ。本気で俺を殺しに来てくれ。訓練は実践さながらじゃないと、意味が無いんでね」 返事をするまでもなく男は茜燦に接近してきた。隆起した筋肉を全身にめぐらせた、重量感ある体。太い両足がたくましく躍動し、どしどしと大地を踏み進む。 至近距離になり、キツネ顔の筋肉質は丸太のような腕で茜燦に殴りかかった。それを見てから茜燦は、斜め後ろに素早く下がると『繚龍』を振り上げ、氷結のウェーブを繰り出した。 白い氷の塊が男の上体にまとわりつく。茜燦はまたすぐに一太刀振り、男に向かって氷塊を浴びせながら距離をとった。 茜燦めがけて突き進むたび、白く硬い氷が積み重なっていく。急激に体が冷えたか、だんだんと男の動きが鈍くなった。それでも獰猛な男は茜燦を撲殺するため接近し、人の頭ほどある拳を無表情のまま振り回した。 男が近づくたび、茜燦は氷結の大刀『繚龍』を振りながら距離を取った。しばらくこの繰り返しだった。「殴ることしか脳がない単純バカか。もう少しまともな訓練ロボットはないものだろうか」 この戦闘は、学生が年代の壁を越えて自発的に参加する「自主訓練」である。今回訓練に使われているロボットは、超人的な肉体を持つデミヒューマンを想定してのものであった。裏山の森をしばらく歩くと、だだっ広い開けた場所があり、そこに双葉学園の多目的訓練場はあった。 『繚龍』が何度も何度ももたらした氷結は、すでにフィールド全体にまで及んでいた。氷は周りを取り囲むフェンスにびっしり張り付き、地面にも広がっている。雑草に付着している霜のような氷塊が、お昼すぎの日光にさらされてきらきらと滑らかな光沢を発していた。夏の日差しはすぐに氷を溶かしてしまうことだろう。 「そろそろ頃合かい? 決着をつけようか、副会長さん」 水分はにこりと微笑んで返事をした。彼女は瓦礫の上で、両手を前に組んで戦闘を見守っていた。そこは、男が片腕一本で壊したフェンスのあった場所である。 ボディにまとわりつく氷が溶け出した頃には、ロボットはやっとのことで自由に動き回ることができるようになっていた。体についた残りの氷を、全てなぎ払う。一面の雑草が、ロボットが撒き散らした水滴に濡れた。 そんな敵を一人残し、茜燦は一気に戦線から離脱、崩れたフェンスから飛び出した。フィールドにロボットが残っているのを確認し、そして、叫ぶ。 「今だあーーーッ! 遠藤ーーーッ!」 三人目のチームメイト、遠藤雅が登場したのだ。 彼はロボットが壁を崩壊させ、侵入したのと入れ替わるように、フィールドの外に出ていた。 そして、両腕を左右に大きく広げ、強く念じる。 「それ」がしていたかつての形をイメージし、本来の姿を取り戻せるように、念じる。 すると、一枚だけ崩れていたフェンスが、下からズドンと生えたように、一気に生成されたのだ。丸々一枚埋まっていたコンクリートの壁が、立ち上がったかのようだった。ナイアガラが一斉に逆流したとすれば、きっとこのような光景を見るに違いない。 かくして「口」の字のフィールドは再生された。壁の位置に立っていた水分は、優雅にフェンスに腰掛けていて、おっとりとした笑顔でこう言った。 「水浸しの箱庭のできあがりです」 と、右手人差し指で、円をひとつ描いた。 すると、フィールド内の水滴や氷結の結晶が、一つ一つ動き出し・・・・・・浮かび上がり・・・・・・振動し・・・・・・。壁から、雑草から、四方八方から、ロボットの全身を目掛けて「集中砲火」を浴びせたのだ。 「まあ。虹がかかってとてもきれい」 水分は麗しい微笑で、ロボットがズタズタに切り刻まれていく過程を観賞していた。 「お疲れ様でした、遠藤さん。どうです? 実践演習での能力使用は」 雅はたっぷり汗を流しながら、水分に笑顔を向けた。両手を後ろにつき、肩で息をしている。水分は、そんな雅に飲料水を渡してくれた。雅はありがとうと言ってそれを飲み干した。 「とても緊張しました。やっぱり練習とは全然違いますね」と、雅は答える。「失敗したらどうしようかとか思いました」 「経験を積むことだな。遠藤がそうして訓練をしている間にも、ラルヴァはいたるところで猛威を奮っているのだから」 「ゼンザくん。今日は訓練に付き合ってくれてありがとう。これからも頑張るよ」 そう、雅は自分が無理を言って訓練に付き合わせた、高等部の男子学生に言った。 「何、ラルヴァと戦う闘志のある奴のためなら、たやすいことだ」と言ってから、茜燦は雅を見る。「遠藤は敵と戦う意志がちゃんとある。・・・・・・この学校は、戦場に立つことは命を懸けることだという意識に欠けた生徒が多すぎるんだ。遠藤のような真面目な人のためなら、これぐらいのことは」 茜燦にそう言われ、雅は急に情けなくなった。一週間前の醜態を思い出したからだ。 戦いから目を背けたかった彼は、パートナーをその場に置いて逃げ出した。敵に背を向けて、無様に逃亡した。それは結果としてみくに重傷を負わせてしまう。 しかし、その経験が雅にはっと自覚させたのだ。自分には敵と戦える力があり、みんなが必要としている力があるということを。 何よりも、自分がラルヴァと戦い、大切な人や物を守っていくことが母親――雨宮愛のくれた力の使い方だと、雅は気がついたのだ。 その日以来、彼は変わった。 授業のない時間帯に、雅は積極的に自主訓練に参加し始めた。非戦闘員であり、異能者としては非常に癖の強い雅の能力開発訓練に一役買ったのは、あの醒徒会だった。 本日は醒徒会副会長・水分理緒と、四宝剣を使いこなす高等部の二年生男子・西院茜燦とともに自主訓練場へやってきた。茜燦は訓練場の受付でうろうろしていたところを、メンバーを捜していた雅につかまった。彼の握る四本の呪術剣にもまた、世界の命運がかかっている。 水分理緒は、雅が自主訓練に参加すると聞いて駆けつけてくれた。醒徒会のメンバーと一緒に訓練を行うのは初めてであり、強い緊張を雅は強いられた。まして、水分は醒徒会のナンバー2である。とんだ大物が出てきたものだ。 「それにしても、すごくリアルなロボットでしたね」と、雅が言った。放置されているロボットの残骸には、ごく普通のロボットに見られるような金属部品やフレームが散乱している。 「学園出身の異能者エンジニアたちが作った戦闘ロボットです。もともとはまだ異能者が少なかった頃、ラルヴァに対抗するため、超科学系の人たちが研究・開発をしたものだったそうです。超科学の結晶も今では、こうして異能者たちの育成・訓練に使われています」 「超科学の異能を持った奴らの一部は、そうすることでラルヴァとの戦いに貢献しようと考えたんだな。それぐらい今のだらしない連中も、高い意識と熱意を持って日ごろの訓練に参加して欲しいもんなんだがな・・・・・・」 茜燦はため息をついて、青空を見上げた。 「そうかそうか。このごろ自主訓練に参加してるのか。それは学生としていい心構えだ」 と、与田は白い歯を見せて言った。雅は与田の研究室で、汚れたジャージを畳んでいた。 雅は、放課後はいつも与田の研究室に寄るか、一緒に図書館で勉強をするか、繁華街で遊ぶかをしている。学校生活がそれなりに充実しているのは、やはり与田の存在が大きかった。与田のおかげで、今ではだいぶ島や学園に詳しくなっている。 「けっこう初めは苦労したけど、慣れれば楽しいね。能力を使うのがかなり楽になった」 「今では何とか使役できるからね」と言いながら、与田は隣の部屋に行ってしまう。いつものように、何か実験材料か実験体を持ってこようとしているのだ。 「おいおい、今日も生体実験か? 勘弁してくれよ、俺はモルモットじゃないんだから」 「あはは。モルモットはこの子のことなのに、面白いこと言うね。まあ、今日はちょっと難問かもしれないよ」 彼の持ち込んだピンクのプラスチックケースに、小動物がうずくまっているのを見た。 猫だった。 「この島はどうしてか猫が多くてね。それゆえ、交通事故に合う不幸な子も多い。この子は頭を強く打ってしまい、全身が麻痺してしまった。恐らく植物状態なんだろう。まあ、エンジニアの僕には医学のことはよくわからないけどね。 かわいそうに、今も起き上がりたくて、走り回りたくて、美味しいご飯を食べたいだろうに」 じっと動かず、体を丸めている猫は、まるで眠っているかのようであった。 「この国では、人間に関して言えばこういう子は『死んでいる』ことになる。それは法律で決まっていることだからさ。この子は『死んでいる』。さあ、遠藤くん? 君はこの猫は死体なんだと思えるかい? 『死んでいる』と断定できるかい? 今すぐにでも手術台に仰向けにして、健康に稼動している内蔵を抜き取ることは、正しいことかと思えるかい?」 「そりゃあ、いけないことだと俺は思う」 「どうして?」 「生きているからさ」 与田は雅の返事に機嫌をよくすると、眠り続ける猫を取り出した。灰色のキジ猫は目を瞑ったまま、与田に抱えられてぶらんと体を垂らしている。与田はキジ猫を、胡坐をかいている雅の前に寝転がした。 「それならば遠藤くん。この子を回復させてみようか」と、与田は不敵な笑みを浮かべて言った。「もしもそれができたら、これはすごいことだ。とんでもないことだ。そう、奇跡の目撃者に、これから僕らはなるのかもしれない」 「大げさなこと言うなよ。このごろ、みんなにも醒徒会にも持ち上げられすぎて、少し参ってるところなんだから・・・・・・」 「あはは、ごめんごめん。どうも興奮してしまってね。まあ、やってみてほしいんだよ。もしも君がここでこの子を治すことができなかったら、僕は直ちにこの子を保健所に持ち込んで、二酸化炭素で安楽死させることになるよ?」 与田の脅しにも似た冷酷な要求。雅は黙って、猫の背中に触れた。首の辺りからしっぽの付け根にかけて、撫でるように触った。すると、後頭部にひどく冷たい箇所があった。それは雅だけにしかわからない感覚だった。 「首のあたりが傷ついているのか」と、彼はこぼした。 「おー・・・・・・。そんなことまでわかってしまうのは想定外だった。いやあ、やっぱり君はすごい奴だよ遠藤くん!」 その冷たい箇所に、両手で手を触れる。呼吸を整え、手のひらに力を集める。雨宮愛が、雅の膝小僧に触れたときの、あの温もりを思い出して。 ここまで能力を使役できるようになれたのは、醒徒会の支援と与田の研究のおかげであった。雅の治癒能力は、怪我や崩壊の具合によって、異能力の消費量が顕著に上下した。例えば日常生活において指の切り傷を治す程度なら、数回ほど力を使えたが、ラルヴァとの戦いで重態となった生徒を完全に回復させるのは、自分が後ろに倒れて気を失うぐらいの力を必要とした。と、これぐらい雅は自分の能力について把握することができていた。 そして、与田は雅に新たな課題をつきつける。それは「身体障害を治癒させること」 雅は一生懸命念じた。どうか、この子の怪我がなかったことになりますように。ちゃんと脊髄が繋がって、またいつものように動くことができますように。 与田の想定していた通り、治療はとても時間がかかった。両手の淡い発光が、ちかちかと消えかかっているのを確認する。彼はどんな些細な変化が起こっても、律儀にメモを取っていた。 一筋の汗をたらしてから、雅は横に倒れた。「ぶはー。もうダメだ。限界だあ。ごめんよ、本当にごめんよ」と猫に謝りながら、強い疲労を見せていた。 ところが。 にゃんと、鳴き声が聞こえてきたのだ。 「嘘だろ」と、雅は目を点にして起き上がった。キジ猫は雅の側に寄ると、体を預けて目を瞑った。また一匹、雅は猫に好かれたようである。 「嘘じゃないよ、これは遠藤くんがやったことなんだよ・・・・・・!」と、与田はぶるぶる震えて言う。「奇跡の瞬間だ! こうして治癒能力者が身体障害を治す技術を確立できれば、この世界は変わる! 盲目の人間が光を取り戻し、難聴の人間が鳥のさえずりを聞けるようになる! 常識が、時代が新たな領域へと進むんだ! 嬉しいよ、僕らの研究はついにここまで到達したんだあ!」 と、与田はまるで自分の功績であるかのように喜んだ。 雅は街灯を頼りに、真っ暗な構内を歩いていた。 後ろを振り返ると、まだ理系の研究塔にはぽつぽつと電灯が点いている。時刻は二十時。今日も与田の研究に付き合わされて、遅い時間となってしまった。 人知れずため息が出る。どうしてこう、僕の能力はスケールの大きいものなんだろう、と。 醒徒会や与田が向ける期待のまなざしが、正直なところ重たくてたまらなかった。 キジ猫の身体障害を治してしまったのは、雅自身も驚かされる。雨宮の力のあまりの強力さに、彼自身が圧倒されていた。 「この力、強すぎて手に負えないよ・・・・・・」 何か、自分を取り巻く世界の何もかもが、自分を中心にして動き出したかのような気がしてならない。これから自分にはどんな運命が待ち構えているのだろう。この便利で貴重な能力は、雅の運命をどのように変えてしまうのだろう。そして、このような強大な力を持ってしまった自分は、これからどんなものの運命を変えてしまうのだろうか。それは世界に対しても、誰か特定の人物に対しても、言えること。 重たかった。雅にとって、この壮大な力は重たすぎた。 自分の血と向き合ったとき、急に母親のことが恋しくなる。母親に会って、とてもきいてみたくなる。 母さん、僕は治癒能力者として、これからどうしていけばいいんだろう。そして母さんはどうやって、自分のこんなとんでもない能力と付き合ってきたんだい? 学園を出ると喫茶店の店主が、営業を終えるため看板を店内に引っ込めていた。帰宅する学生で賑やかだった商店街も、この時間にはどこも店を閉め始める。双葉区水道局汚水タンクと黒い丸文字で書かれたシャッターが、街灯に浮かび上がっていた。 雅は、家で待っていることだろうあの少女のことを思い出した。 最近、みくは雅に対して声を荒げたりしない。怒ったりしない。例えばこうして遅い時間に帰ってきて寂しがらせたりすると、あの子は泣くのである。これには随分と参った。 雅は人の気持ちをいちいち考えてしまう優しさがあるので、ついつい謝ってしまう。そして「大好き!」とみくは胸に飛び込む。これが定型パターンである。 彼は冷や汗をかきながらこう思う。俺は間違った生き方をしていないか? 俺はこれでいいのか? 何よりあいつはあれでいいのか? 東京で大学生活を始めるにあたって、雅も例えば恋人とか、そのままの勢いで結婚だとか、そういった淡い期待をしていたことは言うまでもない。だけど、それがあの十二歳の娘だというのは、やはり何か問題があるような気がしてならない。 遠藤雅は、外見上の魅力に関して言えば「並」である。名古屋での高校時代、親切にした女の子に告白されたことだってある(しかし貧乏な雅は女の子に気の利いたことをしてやれず、あっさりと振られてしまう)。だからと言って、こんなにも愛されてしまうのは異例であり、困惑当惑の二文字しか浮かばない。相手が幼いからあんなにも一途なのか? 雅には少女の気持ちがわからない。 ああ、今日も部屋に帰れば「どこで何やってたのよ・・・・・・」と拗ねられるだろう。 ご機嫌を取ったら「大好き・・・・・・」とくっつかれるだろう。 これさえなかったら自分の生活はごく普通の生活として、なんなく落ち着くはずであるのに。 本当、いつからこんな変なことになったんだ? 雅の苦悩は終わらない。 「まあ、メールぐらいは送っておこうかなあ」 そう、雅はカバンに手を突っ込んだ。いくらみくが、自分から進んで夕飯を作ってくれるとはいえ、せめてそれぐらいの気遣いは必要だと思ったのだ。商店街を離れると、いよいよ辺りは真っ暗になる。夜の住宅地に、雅の足音だけが響いて聞こえてきた。 今日も、出来上がった夕飯をテーブルに置いて、寂しそうにしてるんだろうな。 玄関で出迎えた泣きべそ顔を想像しながら、雅はモバイル学生証を探すことに集中していた。 筆箱に手を触れる。与田のくれた研究資料に手を触れる。水分理緒がくれた「遠野彼方監修・特製びゃんこぬいぐるみ」の生地に手を触れ、あまりの柔らかさに少し揉んでみる。 ようやくのことで、モバイル学生手帳を引っ張り出してきた。画面を開くと、液晶のバックライトがとてもまぶしく照りつけて、思わず目をしかめる。着信メールや、学園からの新着情報はなし。与田のメールはない。醒徒会直々のメールもない。会長の自由気ままで無邪気なデコメールもない。みくの、早くおうちに帰ってきてよメールも、ない。雅はモバイル学生証をパチンと閉じて、前を向いた。 戦闘型ロボットが眼前に立っていた。 雅は、うわあと大きな悲鳴を上げた。たまらず、逃げるようにあとずさった。 ずっとモバイル手帳に気を取られていたせいで、まったくその存在に気づかなかったのだ。細い住宅地の道の真ん中で、その異形は雅を待ち構えていた。 「な、な、なんだこいつはあ!」 このあいだ、みくと一緒に倒したタイプの機体だった。異なるのは、手足がとても太くて筋肉質を模しており、大刀を装備していること。 やばい。相方のみくはいない。かといって、自分は戦えない。雅は歯をがちがち鳴らした。 ブンと、ロボットの両目が真紅に光る。前回のようなゴーグル型ではなく、ちゃんと目が二つあった。それはこの前のやつよりもロボットらしくて、恐ろしいものだった。紅の視線に、自分の眼球が貫かれそうであった。 閑静な夜の町に、青年の悲鳴が響き渡った。 最初に戻る 【双葉学園の大学生活 ~遠藤雅の場合~】 作品(未完結) 第一話 第二話 第三話 第四話 第五話 第六話 第七話 登場人物 遠藤雅 立浪みく 与田光一 西院茜燦 逢洲等華 藤神門御鈴 水分理緒 エヌR・ルール 早瀬速人 登場ラルヴァ カラス 関連項目 双葉学園 LINK トップページ 作品保管庫 登場キャラクター NPCキャラクター 今まで確認されたラルヴァ
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ラノで読む ピ○ニック それは、昭和五十六年から販売している乳製品の名称である。ブリックパックと呼ばれる直方体容量二五〇ミリリットルの紙容器にポップな書体でPiknikと記載されたパッケージングの飲料は、誰もが見知ったものであろう。 というのも、形状からくる運搬性の良さや密封性による長期保存が可能なこと、可燃ゴミとして処理可能な紙容器であること、また、二五〇ミリリットルという昼食の飲料として飲み切りやすい容量などメリットが多く、学校などの公共施設の売店などで販売されることが多いからだ。 多分に漏れず、当校の購買部でも購入可能な飲料の一つであり、昼食時にはパンを片手に生徒が口にするのを皆さんも見かけることが多いのではないだろうか? さて、こんなどうでも良い話をしたのにはワケがある。このピ○ニックにはある伝説があるのだ。 恐らく、一部の生徒は聞いたことがあるのではないだろうか? そう、星の数ほどある双葉学園七不思議のひとつに数えられる“幻のピ○ニック”の存在だ。 幻のピ○ニック――。それは入荷日も入荷数も不明で、何味なのはもちろん、どんなパッケージであるかも判明していないという謎のピ○ニックである。 この幻のピ○ニックを奇跡的に入手し、飲み干した人には『好きな人から告白されました』とか『期末試験のヤマが大当たりでウハウハです』とか『飲み干したパッケージを懐に仕舞っていただけで突如として幸運が舞い込むようになりました』とか『飲んだだけで悩みだった身長が五センチ伸びました!!』とか『競輪競馬で大儲け! 幻のピ○ニックさまさまです!!』といったなんとも摩訶不思議な幸運、いや露骨にうそ臭い奇跡が舞い込むという…… 噂である。 まあ、都市伝説に代表されるような根拠が曖昧な噂というものは、基本的には眉唾物であり、尾ひれが付くのは当然で、時には尾ひれや背びれだけでなく、手足まで生えて一人歩きしてしまうもの。 恐らく、この幻のピ○ニックもそういった類のものであり、誰かの勘違いから始まり、フォークロアが辿る流れと同様に伝聞する間により面白く装飾され、時には枝葉を切り落としブラッシュアップされ現在の形になったのだろう。 少なくとも私はそう考えていた。 だが、私は出会ってしまったのだ。幻のピ○ニックを知っているという人物に。 幻のピ○ニックを知っているという人物の情報が私の元に届いたのは今年の十二月の中旬のことである。 十二月中旬といえば、恐らく多くの生徒の懸念だった期末試験も終了し、目前に迫った冬休みに心躍らせたり、クリスマスの予定についてイチャイチャしながら乳繰り合ったり、ソロイベントだけは避けようと血眼になってお相手を探そうとしたり、すっかり諦めモードになり悪意を周囲に振りまいたりと、一年を通して二番目くらいに学園内がドロドロに愛憎渦巻く時期である。 そんな時期にあるツテから情報がもたらされたのだ。 独特の空気感に辟易し、センセーショナルな記事のネタを探していた私にとってそれは渡りに船と言えた。 ただ、情報提供者に直接会うことは叶わず、電話でのインタビューが精一杯とのこと。だが、これでは裏が取れない。間を取り持ち、このインタビューのお膳立てをしてくれた馴染みの情報屋も、情報提供者の人物像を曖昧に口を濁すだけ。なんとも歯痒い。 私は情報提供者と何とか直接接触し、確証を得たかったが、頑として相手の許可は下りなかった。 結局、折れたのは私の方で、先方の指定する公衆電話を通じてのインタビュー、しかも向こうは変声機で声を変えてという非常に用心したものだった。 私は先方に指定された当日、島内のとある公園に設置される公衆電話に足を運んだ。 予定の時間に一秒も遅れることなく、公衆電話のベルが鳴り響き、私を驚かせる。 私は慌てずに受話器を取り「もしもし?」と相手に向かって話しかける。 暫しの沈黙、そして――。 『周りには誰もいないか?』 電子的に変声された音声が耳障りなノイズと一緒に聞こえてくる。電子的に変換されているとはいえ、相手の緊張感が手に取るほどに伝わってくる。この告白は彼もしくは彼女にとって相当な勇気が必要なものだったのだろう。 もちろん私一人だ。 そう答えると、安心したのか大きく息をする音が聞こえてくる。 『では、電話機の下にある封筒を取って中を見ろ』 なるほど、電話機の下にある電話帳を置く棚に大きめの茶封筒がある。私は肩と耳で受話器を挟みながら封筒を拾い上げ、中にあるものを取り出す。それは一枚の写真だった。 これは? 『それは証拠の写真だ。それが幻のピク○ックだ』 私は相手に伝わるように大げさにため息をつく。 理由は簡単だ。その写真というのがなんともピントがぼけて殆ど判別できないような代物だったからだ。 これでは証拠にならない。私はそう言う。 『しかし、それが私には精一杯なのだ。購買部のお姉さんの目を盗んで撮影するのにどれだけ苦労したと思う?』 そんなことは知らない。貴方が苦労しようと、購買部のおばさんが邪魔しようと、こちらの知ったことではない。確実な情報が欲しいのだ。 『――お姉さんだ』 はい? 『おばさんではない。お姉さんだ。ああ見えても、まだ二十代後半なんだぞ』 とりあえず購買部のおばさんの情報は私は知りたくもない。嫌いじゃないが年上過ぎる。 しかし、これでは確証を得られない。もっと有用な情報はないのだろうか? 『なら、明後日の昼休みに購買部にくるといい。保冷機の右隅に一つだけ黄金色に輝くピク○ックがあるはず。それが幻のピク○ックだ。自分の目で確認してみるがいい』 それは入荷するということか? だがこの写真では判断しようがないぞ。 『黄金色に輝くハートのパッケージ。言えるのはそれだけ。あとは何とかしろ。それとおばさんじゃなくてお姉さんだ』 受話器の向こうでガチャリと音がして、電話が切れる。 全く、情報提供者は一体誰なのだろう? 私には全く分からない。ただ、購買部のおばさんの年齢を気にする人なことは確かなようだった。 うーむ、全く分からない。謎の人物だ……。 私がピンボケの写真と僅かな情報を手がかりにして色々と調べるも全てが徒労に終わり、あっという間に情報提供者がいうその日になる。 手元にあるのはピンボケした写真と『黄金色に輝くハートのパッケージ』という不確かなものばかり。 しかもそれが購買部の保冷機の右隅に今日置かれるということだけだ。 だが、確かめざるを得ない。千載一遇のチャンスなのだ。私は自分の能力に感謝する。 私の能力は固定座標の空間を認識から除外する能力。つまり、私が指定した空間は誰も認識することができなくなる。適用空間の範囲は最大でも三メートルで、効果を発動できる距離は十メートルと限定されるが、補助系の能力としてはかなり有用だ。 私は前日、入念に購買部の位置関係を確認し、失敗のないように祈る。 保冷機の右《・》隅だ……。 当日、いつものように人の波が購買部へと押し寄せる。もちろん、全ての生徒がではない。弁当を持参する者もいるし、食堂で済ます生徒もいる。そういった中で、購買部でパンやおにぎり、お弁当を買う人たちがいるというだけだ。 だが、呆れるほどに生徒数が多い双葉学園ではそれだけ分散していても食物の確保は戦争状態である。能力を発動させて他者を蹴散らす馬鹿者どもは殆どいないが、それでも主婦の狩場と変わりない弱肉強食の世界がそこでは繰り広げられる。 四時限目の授業をばっくれていた私は授業終了のチャイムと共に能力を発動させる。これで他者には該当のブツは見えなくなるはずだ。だが、チャイムが鳴り響いた直後にも関わらず大量の生徒が購買部に集まってくる。私のようなさぼり組みはもちろん、テレポーターや加速系、身体強化系の能力者たちが存分に能力を発揮して希望のブツを手に入れようと購買部に集合したのだろう。 一瞬気圧され戸惑ったのが運の付きだった。気が付いた時にはそこは戦場。私の目の前は人《・》山《・》の黒《・》だ《・》か《・》り《・》で一歩も前に進むことができない。だが、能力はすでに発動している。あとは持続時間が終わる前になんとかそこに辿りつくだけだ。 私は幾重にも重なった人の集まりに辟易しながら、その山の中に突入することにした。 これ下さい! 私は、私だけが認識できるように保冷機の右《・》隅のそれを手に取ると、起用に大量の生徒たちをあしらい清算していく“お姉さん”に小銭と一緒に突き出す。 「はい、これおつりね」 そう言っておば……お姉さんは私に籤に外れた人を見るような残念な顔をした。 私は再び人だかりを掻き分け、餌に群れる群集から抜け出ると、大きく胸を撫で下ろす。これで、幾万もあると言われる双葉学園七不思議のひとつが判明するのだ。 鼻息荒く、高鳴る鼓動を抑えつつ、私は手に持ったそれを視界に入れる……。 「明○のブ○ックじゃねーかっっ!!」 私はとりあえず手にした四角い紙容器のそれを床に思いっきり叩きつけることにした。 「で、これを私にどーしろというのだ君は?」 オレンジ色の夕日を背にしながら、目の前にいる人物はそう言ったあとに大きくため息をつくと、机の横にあったゴミ箱に今しがた書き終えた私の原稿の束を無慈悲に放り捨てる。 これでクリスマスの予定も無視して全力でこの記事に打ち込んだ私の苦労は水の泡になった。この取材と記事にかまけて、メールや電話を無視していた彼女からは、ここ数日メールさえ来なくなった。私ではない男子と楽しそうに歩いているところを見たという情報もある。 全く、これは最低のクリスマスの幕開けではないか。手遅れになる前にフォローの電話かメールを入れておくことにしよう。 私の鬱々とした気持ちを無視して、編集長は机の上に置いてあったジュースのパックを手に取り一飲みする。 「あら、これ美味しい!?」 そして、メガネの奥にある大きな目を丸々とさせて、手に持ったパッケージをマジマジと見つめ始める。 それに釣られて私も彼女の手元を見てしまう。だが、彼女の手に隠れて上手くみることができない。指の隙間から見えるそれは私の知らない物のように見える。 「ふーん、また今度買って見ようかしら……」 彼女がそう言ってゴミ箱に捨てた瞬間、後ろポケットに入れていた携帯が振動し、メールが着信したことを知らせる。 私は部長に軽くお辞儀をしてメールを見る許可を得ると、携帯電話を開き、着信メールを確認する。 久しぶりの彼女からだった。 ゴメンナサイ さよなら それだけが液晶に表示されていた。馬鹿ではない私はそれで全て分る。私は振られたのだ。自業自得とはいえ、やはり目の前が真っ暗になり、世の中に絶望してしまう。もう部活を行う気にもなれない、このまま帰ってしまおう。 「と、ところで……森永君?」 携帯に届いた着信メールに打ちのめされ、亡者のごとく今にも倒れそうにゆっくりと鉛のような両足を引きずりながらようやく部室の戸口まで辿り着いた私に声を掛ける。それは部長がいつもの部下を厳しく叱咤するのとは異なる、女性らしいトーンであった。 なんでしょう? 「あの、あのね? 森永君はク、クリスマスとか何してるのかな?」 今しがた自宅でフジテレビの深夜番組に電話をすることに決めましたが? 「そ、そうなの? 予定はないのね。実はさ、私その、と、友達とパーティをするんだけどさ、みんな彼氏付きでね、わ、私も男の人を連れて来いって言われてるの。でも、そういうあてもないから、森永君ならいいなら、一緒にどうかなーって? いや、あの、む無理だったらいいのひょ? だって…ほら、私なんてメガネで地味でいっつも森永君のこと怒ってばっかりだし、それに年上だし……」 彼女は頬を赤らめ、私の方に視線を合わせることもなく、手で髪の毛をいじりながら一方的に話続けていた。 おそらく、そのパーティというのは彼女の友人たちがこうなるように仕掛けたものだろう。告白する勇気のない彼女を無理矢理にでも告白させて、なんとかしようという魂胆に違いない。 しかし、男ッ気のない部長が私に気があるとは日頃の態度からは全く気がつかなった。人一倍厳しく当たるし、事あるごとに小言と嫌味ばかり。もちろん、彼女の一言一言は正しく、校正や企画内容の駄目出しも的を射たものばかりである。 それだけに尊敬こそすれ、女性と見なすことがこれまで出来なかった。 彼女はこんなに可愛らしい女性だったろうか? 頬を染め自分の言ったことに恥らう姿に私の鼓動が早くなる。目の前にこんな魅力的な女性がいたのに気が付かないとは。私の目は曇っていたようである。 ――いや、ちょっと待て。彼女が飲んでいたのはなんだ? 隙間から見えただけだが、まるで情報提供者からのアレのようではないか? チョット待てよ。アレには色々な効果があったはず。いや正確には噂される、だが。 なるほど。そういえば効用の一つに『恋の成就』があったはずだな……。 私は思わず彼女が飲み干したブリックパックの四角いパッケージを確認したくなる衝動に駆られる。 だが、それを私は思いとどまることにした。もちろん、今全力でゴミ箱に走りより、そこに打ち捨てられたパッケージを確認すれば、一緒にゴミ箱に入っていた私の原稿もめでたく没ではなくなり、次号の誌面に掲載されるかもしれない。 それはできなかった。 彼女が捨てたものが、本当に幻のピ○ニックだったら癪だからだ。 ジャーナリストとして、真実を追究する気持ちは揺ぎ無い。でも、そんな呪いのようなもので自分の心が動いたなんてことはそれ以上に思いたくもない。 何故なら、私は彼女の精一杯の勇気を振り絞ったこのお誘いに笑顔で首を立てに振ることに決めたのだから。 これは私の意志である。何より彼女が告白したのも彼女が精一杯振り絞った小さな勇気の賜物だ。 幻のピ○ニックがもたらした奇跡でもなんでもないのだ。 では部長、そのパーティはどちらで行われるのですか? 偶然にもクリスマスは暇なんですよ。 私は彼女の問いにそう答えることにした。 トップに戻る 作品保管庫に戻る
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ラノで読む 然程大きくない武者窓から漏れ出す春の日差しが、用務員室内を照らし出す。 その陽光を汲み取り、まぶしい程の光を反射させる頭部を備えた老人は、ちゃぶ台の前で足組《あぐ》み、 左手に持った新聞紙を読みながら、のんびりと煎茶を啜《すす》っていた。 完全に気も抜けた状態で、大きくため息をついた後に目を瞑ると、 春の陽気にあてられたのか、船を漕ぎ始める。それと同時に何の前触れもなく用務員室のドアが開かれた。 「あの、園芸用の道具をお借りしたいんですが」 突然の出来事に、老人の頭部から反射した光は無作為に室内を暴れまわる。 その光源であった双葉学園用務員の国守鉄蔵《くにもりてつぞう》は腰を浮かせ、背後に振り向いた。 「うわっちゃ、あちゃ熱っち!! な、なんじゃいお嬢ちゃん、藪から棒に」 唐突に声をかけられた事に動揺したのか、鉄蔵は右手に握っていた湯呑みからお茶をこぼし、手の甲にそれがひっかかっる。 空を切り、手にかかったお茶を振り払い、口を窄《すぼ》めて必死になりながら、手に息を吹きかけると声の主に問い返す。 「園芸用の道具? まぁ、わしゃ構わなんだが、そんなモン何に使うんじゃ?」 声の主はまだ若い少女だった。無邪気さを残しつつもその顔立ちからは、優しさと滲み出る母性がある。 鉄蔵が問い返すと少女は少し慌てたかのように両手を大きく仰ぎながら理由を述べた。 「いえ!! あの……そう!! 中等部の区内ボランティアで公園の植物の整備に使いたいんです」 「ほぅ、区内ボランティアか。そいつぁ大したもんじゃ。直接来たっちゅう事は事前に総務には話を通してないっちゅう事か?」 「う、はぃ、そうなっちゃいます」 少女は視線を反らし両手を組むと、人差し指をくるくると弄ぶ。 その様子を見ながら、鉄蔵は顎をさすり少し眉尻を下げて言った。 「園芸用の道具で何ぞ問題が起きる事もないかの……まぁ、ええか。 とりあえず、道具が入り用になった時の為に、わしになんぞ連絡先とかを教えといて貰えるとありがたいんじゃが」 そう言うと鉄蔵は立ち上がり、黒電話の横に置いてある自作の藁半紙のメモ帳と、やや短くなった鉛筆を少女に手渡す。 少女は園芸用の道具を借りる事ができるのが余程嬉しいのか、瞳の中の光は目映い煌めきを放ち、満面の笑顔を浮かべた。 鉄蔵は園芸用の道具を収納している倉庫まで少女を案内し、道具一式を手渡す。 少女は幾度と無く謝辞の言葉を並べながら、去り行く時ですら何度も振り向き、感謝の意を示すように頭を垂れた。 遠ざかるにつれ小さくなる少女の背中を見つめながら、鉄蔵は一人何度も頷くのであった。 その日から少女は毎日、用務員室を訪ねてくるようになった。 少女が訪ねてきた初日がそうであったように、少女は鉄蔵の気が完全に抜け去り、呆けている時に限って訪ねてくる。 その為、鉄蔵は度々腰を抜かしそうになったが、そんなやりとりを数日も重ねると、慣れてきたのか、 少女がドアを開けると同時に手ぬぐいを放り「お勤めご苦労さん」と声をかける事ができるぐらいになった。 また、少女は道具を必ず当日に返却してきた。道具の消耗度合いは激しかったのだが、できる限りの修繕や清掃が目に見て取る事ができ、 それがまた鉄蔵を嬉しくさせた。 その事もあってか、仕事のうちの一環でもある道具の再点検や備品管理の帳簿をつける面倒な作業も、鉄蔵は然程苦に感じる事も無かった。 ──そんな日々が過ぎ、桜の花が満開になる頃。 中等部のボランティア活動で使う為に園芸用の道具を貸して欲しいと、いつも訪れている少女とは別の少年が用務員室を訪ねてきた。 以前訪ねてきた少女とは違い、事前に総務から貸与許可申請の通達が降りていた事に、 やっと少女は手続きの仕方を覚えたのだなと鉄蔵は納得していたのだが、 園芸用具を借りに来た少年に鉄蔵が少女の事を問いかけると、全く予想外の反応が返ってきた。 「相沢ナナミ……さんですか? いや、そんな子はうちの区内ボランティアメンバーにはいなかったと思うんだけどなぁ~」 「──へ、あ? そ、そうじゃったかの。あのお嬢ちゃんは全然違う活動してた子じゃったかもしれん。 うは、うははは。いや、なんじゃ、歳はコワいのゥ、うひゃ、うひゃひゃひゃ」 目を泳がせ、鉄蔵は口元を小刻みにひくつかせながら乾いた笑いを浮かべると、頻《しき》りに顎をさすった。 少年が去り、鉄蔵は用務員室のちゃぶ台の前で足組みながら、ひとしきりの時間唸り続けると、おもむろに下駄を履き用務員室の外に出た。 外に出ると緩やかな春風に運ばれて、春を思わせる植物の香りが鼻腔をくすぐった。 鉄蔵は上着と下着の隙間からヘソが出る程に反り返り、両腕を大きく開いて息を吸い込むと、持て余している腕に繋がる両手で、その両頬を思い切り叩く。 乾いた空気が辺りに響きわたると同時に両目を見開き、上着を脱ぐと爺むさいシャツが露わになる。脱いだ上着を腰に絡め、それをきつく巻き上げた。 「──なんぞ困っとるんなら相談してくれりゃいいモンなんじゃが……そうもいかんかの……」 少し近くに感じる太陽の光は軟らかで、鉄蔵にはそれが少し、空と融け合っているように感じられた。 時を同じくして、双葉区の公園に在る満開の桜達は、未だ花開く事のない一本の桜と、 その桜の幹に背を預け、安らぎの中で夢を見る少女を見守るように、咲いていた。 緩やかな春風は桜の木々と触れ合うと、その枝葉は優しく少女に語りかける。 その声に気づいたのか少女は瞳をゆっくりと持ち上げると目の前の桜達に語りかけるかのように言葉を紡ぎだした。 「……私、寝ちゃってたんだ」 少女が小脇に抱えていた鞄が震えたかと思うと、その鞄の隙間から、するりと純白のオコジョが抜け出てきた。 その毛並みに一切淀みは無く、常日頃から清潔に保たれている事が伺える。 オコジョは鞄を蹴ると、俯いている少女の膝の上に素早く乗り上げ、短く鳴いた。 (慣れない事が続いていたから、少し疲れちゃたんだねナナミちゃん) 「……ティル。うん、そうかもしれないね。でも、私がもう少し頑張らないと」 ティルと呼ばれたオコジョの名は、シルバーティルという。 正確にはオコジョでは無く、オコジョ型のラルヴァではあるのだが。 そのシルバーティルの伝えたかった意志を、ナナミと呼ばれた少女はそのまま理解していた。 それは少女の特異性、異能によるものだった。 ナナミは立ち上がり衣服に付いた土埃を両手で払うと、今し方背中を預けていた桜に向き合い、悲しげな表情を浮かべ、物言わぬ桜に語りかける。 「……お願い、せめてもう一度。今私が貴方に出来る事だけでも、教えて」 ナナミは両手で桜の幹を優しく包み込むと瞳を閉じ、桜が再び語りかけてくる事を信じ、思い出す。 * 数日前、双葉学園から住まいである寮への帰宅する時の出来事。ナナミは一本の桜の開花を見つけた。 学友達はそれに気付く事は無く、誰よりも早く春の報せを見つける事が出来たナナミはそれが少し嬉しかった。 学友達と別れ、宝物を探すような、そんな気持ちでいつもとは違う道程を歩み、帰宅の路を歩む。 その帰り道、区内にある森林公園を通ると、数多の桜が開花し始めている事を見つけナナミの胸は更に高鳴った。 ほんの少し意識を乗せると、公園全体から響きわたる歓喜の歌。 辺りの植物達に導かれるように公園の中を歩いている最中、桜が立ち並ぶ公園の一角で、ナナミは違和感を覚えた。 立ち止まり、もう一度桜達の声に心を通わせると、確かに聞こえてくるのだが、 背後から聞こえてくる歌声は何かに遮られるように、僅かに力が感じられなかった。 ナナミは息を飲み、振り返ると、辺りの景色はナナミの意識から切り取られ、白く霞む。 視界には、力無く佇む一本の桜の木の存在だけがあり、それはナナミの心を捕らえた。 「──歌が、聞こえてこない?」 沈黙する桜の根本に近づくと、少し頼りなげに空に手を伸ばし続けている、その桜の枝を見上げた。 「貴方はどうして、歌わないの?」 ナナミは物言わぬ桜に問いかけるが、桜は何も語らない。 「なんで、声が聞こえないんだろう」 (もしかしたら何かの病気で弱っているのかな? それで上手く意志の疎通ができないとか) 少女が持っていた鞄の隙間から、シルバーティルの鳴き声が何度か聞こえてくる。 「そうなのかな……」 ナナミは再び桜の幹を見つめると、赤子を慈しむ母親のように、その幹に触れる。 「貴方は何かの病気なの? もし私に何か出来る事があるなら、教えてくれると嬉しいな」 長い年月をかけ、その年輪を増やしていった、桜の幹に両手を添える。 冷たく、硬くなった樹皮の感触が両手に伝わる。桜が持ち得る感情に出来る限り心を重ねる。 心から桜を労《いたわ》るナナミに呼応するかの様に、その桜の深い感情は一閃となって少女の身体を貫いた。 一瞬の出来事にナナミは我を忘れ、目を見開くと、その場にしばらく立ち尽くす。 そんなナナミの様子に気がついたオコジョのシルバーティルは、鞄の隙間からするりと抜け出し、 彼女の腕を伝って肩に乗ると、甲高い声を上げ、何度か鳴いた。 その鳴き声に意識を取り戻したのか、シルバーティルの顔を見つめると、顔を青ざめさせながら訴えかける。 「──どうしよう!! どうしよう、どうしよう!? 声は聞こえてきたのに、何をすればいいのか解らないよ!!」 叫ぶように訴えかけるナナミを落ち着かせようと、シルバーティルはその体を使うと、 彼女の首もとに器用に巻き付き小さな顔を使ってその頬を撫でた。 (ナナミちゃん、落ち着いて。まず、聞こえてきた言葉を僕にも聞かせて。 その後、一緒に考えよう? そうすれば、僕たちが今出来る事。その答えを見つけられるかもしれないよ) ナナミの表情は嘆きとも悲しみともつかぬが、酷く落ち込んでる事だけは見て取れた。 シルバーティルの言葉に納得したのか、ナナミは何度か頷き返すと、落ち着きを取り戻し、静かに言葉を紡ぐ。 「うん……聞いて」 ナナミの声を聞き漏らすまいと、辺りに植えられている桜の枝葉が擦れる音が、風が止むと同時に静まりかえった。 「この子の、ただ一つの、純粋な願い」 在りもしない神に。その願いを伝える事を、躊躇《ためら》うように。 * 「『──咲きたい』」 ナナミの言葉を聞き届けると、沈黙していた桜達は、再び各々の歌を歌い始める。 その歌には、今ナナミが抱いている桜が混ざる事は無い。 桜の言葉を胸に、今日に至るまでの間、ナナミは学園の図書室で様々な本を読み、桜の生態やそれに関わる病気を丹念に調べた。 手にした本の多くは専門的な知識や、中学生が理解するには難解な用語ばかり。 生中な知識で行動を起こしたとしても現状を悪化させるだけだと気付くと、せめて自分が出来る事だけでもと、下草刈りを行う事を決めた。 しかし、寮住まいのナナミは、それを行うにあたり十分な道具を持っていない。 如何にして手早く道具を調達するか考えた末、シルバーティルが打ち出した案の一つを採用し、学園から道具を拝借する事となった。 道具を借りる際に会話の流れで用務員の老人に少し嘘をつく事にもなってしまったが、 無事に桜の花を咲かせる事が出来たのなら、その事を含め、後に御礼を言おうとナナミは考えていた。 だが、未だ桜の花は咲くこともなく、徒に時は過ぎ、今に至る。 「まだ、もうちょっと、私の頑張りが足りないのかな」 ナナミは首を傾げると軽く拳を握り、それで自分の頭を小突くと含羞《はにか》んだ。 「私、まだまだ頑張るよ!! 元気になったら必ず……貴方の歌を聞かせて!!」 (僕も出来る事なら、君の願いを叶えるお手伝いをしたいな) 両手を大きく広げ、ナナミは精一杯叫ぶ。ナナミの意気込みに感化されたシルバーティルも、 鞄の中から中途半端に顔を出し、高速で左右に揺れる、暴走したメトロノームの様に首を振った。 必ずこの桜の願いを叶えようと、その決意を改めて心に刻み込む。ナナミが叫ぶと同時に、 息が詰まりそうな程の大量の桜の花びらが風に吹かれ舞い上がった。 「──心優しき娘子よ……その桜の御霊が遙か隠れ世に在っても、尚その身は健気に尽くすのか」 桜の花びらに圧倒され、笑顔を輝かせていたナナミの背後に、一人の童女が姿を表す。 その上半身を隠すのは不格好な晒し木綿、黒髪は辺りの光を吸い込むように艶を帯び、どこかいびつな、出来損ないの巫女。 童女は淡紅色の霧の中に佇んでいたのだが、何故か桜の花びらは彼女の体を避け、ひらひらと渦を巻きながら地面へと落ちる。 不意に声をかけられた事にナナミは驚いたが、童女の言葉の意味を計りかね、少しだけ屈《かが》むと童女に視線を合わせて語りかけた。 「(スゴい格好の女の子だな……こんなちっちゃい子がコスプレ?) えーっと……ごめんね、少し聞いてもいいかな、桜のみたまが遙かなんとかにってどういう意味なの?」 「ここ幾日もの間、その身一つを以て献身の限りを尽くしてきた娘子の行いを望む我も、辛かった……苦痛じゃった」 童女は、無邪気に問いかけるナナミを見つめる。 「楽になりたいが為だけに、幼子の夢踏みにじる我を許せ」 童女の口からナナミに伝えられる言葉《ことのは》は、ただ伝える為だけの言葉《ことば》として繰られる。 しかし、その繰り手は冷酷に、表情を変えることもなく、 「ねぇ、どうしたの? なんでそんなに──」 「娘子よ……その桜は──」 ただ静かに涙を流していた。 * ゴムと鉄が凄まじい速度で擦れ、甲高い音が響きわたる。 慣性に従い、車体の後輪は、跳ね回る事を止めた前輪に引き留められ、勢い良く砂利を跳ね上げた。 車体を斜めに、その勢いに任せ片足を地面に下ろし、下駄の鼻緒を足の親指と人差し指で力強く挟み込む。 「ケンゾー、ここにあの嬢ちゃんがいるんかィの」 「ばうばう!!」 国守鉄蔵は桜が咲き誇る双葉区の公園入り口にいた。 自転車を公園の駐輪所に止めると、鉄蔵の飼い犬である柴犬のケンゾーが急かすように鉄蔵のリードを引く。 ケンゾーが強くリードを引く度に、その首もとの将棋の駒の様な五角形の名札は激しく揺れた。 「わかっとるわかっとる、ほんに頼れる名探偵様じゃわィ」 ケンゾーに導かれるままに鉄蔵は公園の一角に訪れると見知った顔の少女が、咲く事のない桜の根本で膝を抱え座り込んでいた。 鉄蔵は少女のすぐ側まで近づくと、少し困った表情を浮かべる。 「てっきり今日も元気に土いじりでもしとると思ったんじゃが、そんなにしょぼくれてどうしたんじゃ」 「……用務員のお爺さん」 ナナミは鉄蔵の顔をちらりと見ると、 再び地面に視線を落とし、右手で桜の花びらを摘んでは落とすといった行為を繰り返す。 「……すみません。私、色々とお世話になったのに、駄目だったみたいです」 ナナミの言葉を聞きつつも、鉄蔵は横目で辺りを見回す。 辺りの桜と比べると、ナナミが背にしている桜の周りだけが手入れされている事に気付いた。 「ふむ。お嬢ちゃんがここんとこ、園芸用品を借りに来ていた事と何ぞ関係があるんかな? 土いじりならワシも少しは手伝う事もできるじゃろうて」 ナナミは気力を振り絞り、曖昧に返事をすると、力無く数日の出来事と今し方の出来事を語り始めた。 咲かない桜の願いを知り、惜しみ無い愛情を桜に注いだが、全てが遅く、無駄だった事を。 「一人のラ……いえ、女の子からそれを聞かさた時は私も信じたくは無かったんです。 でも、あの女の子はそんな嘘を付く必要なんて無いですもんね。 たぶん、一人でバカみたいに汗流してる私を気遣って、もう駄目な事を教えてくれたみたいでした、えへへ」 「そうじゃったか……」 ナナミを励ます事が出来れば、どれほど気が楽になるだろうか。 鉄蔵はそれ以上に話を問い返すこともなく、桜の花びらを摘んでは放るナナミの手元を見つめる。 その時、鉄蔵とナナミの間を、一陣の風が駆け抜け、ナナミの手元を離れた桜の花びらが中に舞う。 幾つかの花びらは風に手を引かれると大空へと旅立っていった。 「『咲きたい』か……」 鉄蔵はその花びらを目で追い、空を見上げると、大きく溜息を漏らした。 * 桜の下で鉄蔵がナナミの話を聞いてから二日が経った。 用務員室に据え付けてある黒電話を頬にあて、重苦しい表情を浮かべながら、電話の向こう側にいる相手と鉄蔵は会話をしている。 しばらく会話を続けていると話しがまとまったのか、鉄蔵は受話器を電話機の本体に乗せた。 座布団の上に腰掛け、急須から湯呑みにお茶を注ぐと、それを一口呷り、呟く。 「そろそろ、来る頃だと思うんじゃがのぅ」 鉄蔵が呟くと同時に、用務員室のドアを開き現れたのは、気落ちした表情の相沢ナナミだった。 「道具の返却が遅れて、ごめんなさい!! ちょっと気持ちの整理が出来なくって遅れちゃいました……」 頭を下げるナナミに背を向けながら、鉄蔵は湯呑みに口をつける。 ちゃぶ台の上の新聞紙を手に取ると、両手でそれを広げ、大きく咳払いをした。 「色々お世話になりました。何かまた機会があったら改めて、お手伝いさせて下さい」 ゆっくりとドアが閉じられる。 「──ちょい待った」 「はい?」 あくまでもナナミの方を向かず、鉄蔵は耳を真っ赤にしながら、言葉を続けた。 落ち着きなくその足首で貧乏揺すりをしている。 「いやー、ここ数日ワシ大変だったわぃー。誰か心を癒してくれるような人は心優しい人おらんかのー」 「……えーっと?」 「そ、そこでじゃ。よかったらなんじゃが、こっれかっら、このジジィとッとととトッ」 少し寂しげな笑顔を向けるナナミに前代未聞の要求が襲いかかる。 「当世風に言うと、そうじゃ、あれじゃ。でっ、なんじゃ。でー……んおっほん!! でぇと《デート》せんか!!」 これでもかと言わんばかりのどや顔を決めながら、国守鉄蔵が壊れた。 「──ごふっ、かふっ、ゴホゴホッ!! カーッ!! んぐッ……」 「……あの……お爺ちゃん汚い」 あまりにも突拍子もない展開に、ナナミは返事をする間もなくツッコミを入れてしまった。 鉄蔵の肩からは何時もの雑嚢《ざつのう》と大型の水筒がいくつがぶら下げられていた。 愛用の雑嚢には、はちきれんばかりの数のアルミホイルに包まれたおにぎりと思われる物体が詰め込まれており、 鉄蔵がざくざくと大きく足音を鳴らす度にこぼれ落ちそうな程だった。 「ンンォッホン。アレはアレじゃ。要するに用はアレアレ。 一緒に花見でもせんかと言うお誘いのつもりで言ったんじゃ。 決して疚しい気持ちなんぞ持ち合わせとらんぞ!!ほんとじゃぞ!!」 「バウフフフ……」 口から泡をとばしながら、鉄蔵は言い訳を重ねるが、それを見つめるケンゾーの口元は心なしか不気味に笑っていた。 まだ若干、鉄蔵の頬は赤みを残しており、先ほどから同じ内容の話を壊れたファー○"ー人形のように繰り返し聞かせていたが、 それも鉄蔵の照れ隠しなのであろうとナナミは思った。 そう考えると、なんだかもっとずっと、長い間過ごしてきた祖父のように親しみを持てそうな、そんな気持ちがナナミの心を満たした。 そうやって足早に進む鉄蔵の後についていくと、あの咲かない桜がある公園にたどり着く。 「ここで、お花見……ですか?」 「そうじゃ、もう既に特等席は確保しとるんじゃよ?」 鉄蔵は明らかに、あの咲く事ができなかった桜のある公園の一角を目指している。 ナナミは、小石と土と靴の音が擦りあって鳴る音を止めると、一人で言い訳を振りまきながら前進する鉄蔵の背中を見つめた。 「……どうして?」 (用務員のお爺さんなりにナナミちゃんの心配をして、元気付けようとしてくれてるんだと思うんだけど) 「ティル……そうなのかな」 鞄から顔を覗かせるオコジョの意見を聞きながら、鉄蔵の後を小走りで追いかけ、目的の場所に到着した。 桜の木の下には、ブルーシートが引かれており、 既に見知らぬ年上の学生達がいたのだが、鉄蔵は遠慮なくそこに荷物を下ろすとナナミに一言。 危ないからちょっとだけ離れて見ててくれないかと告げる。 ナナミは鞄を両手に抱えると今から何が始まるのか、得も言われぬ不思議な気持ちで胸が膨らんだ。 鉄蔵は器用に木をよじ登り、最も高い場所に有り、安定している枝を足場に選んで幹に手をかけると、 ナナミとは丁度反対側にあたる木の裏にいる青年に向けて声を上げた。 「あー。すまん、龍ちゃん。 手筈通りにそれをこっちに投げてよこしてくれィ、どんどん投げてくれちゃって構わんぞィ」 「なんつー人使いの荒い爺さんだ本当に……よっと!!」 龍ちゃんと呼ばれた青年は鉄蔵に促され、 大風呂敷に包まれた何かを桜の木の上にいる鉄蔵に投げつけると鉄蔵はそれをすくうように拾いあげる。 「こういった力仕事はドラの方が向いてるからな。 俺は割と良い人選だと思うぞ。あー、あんまり急いで投げすぎるなよ」 「ってかニヤニヤ笑ってないで、トラも手伝えっつーの……おらよっと!!」 「力仕事は俺の領分じゃないしな。ほら、もこが応援してくれてるだろ。しゃきしゃき仕事しろ」 「今日の為に沢山お弁当を拵《こしら》えてきました。 これが終わったら皆さんで一緒にお昼にしましょう、龍様!! 頑張って下さい!!」 「投げすぎるなとか、しゃきしゃき仕事しろとかどうしろっつーんだ、おい……」 桜の上で手招きをしながら構えている鉄蔵に大風呂敷を放り続ける青年を錦龍《にしき りゅう》。 その横で応援し続ける、青年と少女の名を中島虎二《なかじま とらじ》と、豊川模湖《とよかわ もこ》と言う。 ある事件をきっかけに、鉄蔵と知り合う事になり、度々学園で顔を合わせては、 鉄蔵は教職員用のモバイル端末を珍しがる彼らから、その使い方の説明を受けている。 端末の持ち主であるはずの鉄蔵は、仕事で使う工業用機械の操作以外には明るくない為、 モバイル端末の基本的な操作方法など、一から彼らに教えてもらう事が多かった。 鉄蔵は二日前、『確実に咲く事が無い、桜の咲かせ方』について相談した。 確実に咲かないのなら、絶対に咲かせれば良い。 中島虎二はその時、意味ありげに笑うと、鉄蔵に自分の考えを述べたのだ。 「咲かぬなら、咲かせて見せよ、その桜ってか。 まぁ、咲かせるのは俺じゃなく国守爺さんだけどな」 桜の木の上で幾つもの大風呂敷を積み上げ終えた鉄蔵を三人は不安げに見つめる。 鉄蔵はナナミと視線を合わせると、公園の隅から隅までに響きわたりそうな大声で叫ぶ。 「相沢ナナミちゃんよ。この桜もお嬢ちゃんが頑張ってくれた事は絶対に解ってくれておるハズじゃ。 それはワシが保証する。この桜の周りをよぉっく見てみぃ。お嬢ちゃんの頑張りが一目で解るじゃろ?」 桜の枝に足をかけ、更に延び分かれた枝を掴み体を支え、鉄蔵はナナミの努力を、賞賛する。 「見りゃ解る、見れば解るんじゃ。 どれだけ嬢ちゃんがこの島の中にある、この一つの桜を咲かせようと、努力をしてきたのか。 この双葉島にある桜達も知っておる。お嬢ちゃんが頑張ってきた事を、よく解ってくれてるハズじゃよ」 「用務員のお爺ちゃん……」 「ワシに上手く出来るか解らん……しかし、仮初めでも、こいつを咲かせてやれりゃ、少しは元気になってくれんかの」 鉄蔵は足下にある大風呂敷の結び目を解き、中に入っている物を確かめると、それを手に取る。 「天衣無縫の桜の精よ、この国の防人の願いを、天世《あまよ》に在る桜の御霊に届けておくれ」 鉄蔵が言い終えると、決して咲くことの無かった桜を、桜の花びらが覆った。 その桜吹雪の最も密度の高い場所には鉄蔵の姿がある。 春風は桜を中心に吹き上げ、鉄蔵の手助けをすると、春の日差しがそれを照らし幻想的な風景はより栄える。 今この瞬間だけは、力強く咲き誇る一本の桜として、その桜は咲いていた。間違いなく、咲いていたのだ。 舞い上がった桜の花びらのうちの一つが、ナナミの手のひらの上にふわりと落ちる。 ナナミはそれを見つめ、顔を上げて微笑むと、直ぐに駆け出し、木の上にいる鉄蔵に向かって声を上げた。 「あの!! 私も手伝いますっ!!」 言うが早いか、ナナミは不器用に桜の幹に上る。 鉄蔵はナナミの手を引き上げ、その手に桜の花びらを握らせると歯を見せて笑う。 それにつられ、ナナミも満面の笑みを浮かべると、鉄蔵と共に桜の花びらを辺りに振りまいた。 その桜を見上げる中で、龍は虎二に呟いた。 「……今、見えそうで危なかったと思うんだが、見えたか」 「──ノーコメントだな。ドラ、それよりも、後ろ」 「後ろがどうし……って、いや、違うんだ、もこ。これは危ないから安全面を考慮した上でだな」 鬼の形相を浮かべた豊川模湖が錦龍に詰めよると、怒りを露わにする。 「龍様。無防備な女子の下着を盗み見るといった行為は、あまり誉められる趣味と思えないのですが」 「そ、そうだな。俺もそう思う。 そう思うからとりあえず、その鬼火は消してくんねーかな? ちょっと危ないぞうぉおおお!!?」 龍の顔は青醒めさせ後ずさると、桜の花びらの中を全速力で走り始め、もこと熾烈な鬼ごっこに興じた。 その脇では地上に置かれたナナミの鞄からシルバーティルが這い出てくると、それを鉄蔵の飼い犬のケンゾーが見つめていた。 ケンゾーはその口から、だらしなく涎を漏らす姿は、先の龍と模湖の再演を演じる役者にも見える。 (や、やぁ! 僕は悪いラルヴァじゃないよ!! いじめないで) 「……バウフフフ」 (ちょ、ちょっと。君も冷静になろう、ウェイト、シットダウン!! ひぇー!! ナナミちゃん助けてー!!) その風景の中心で、桜の花びらを振りまきながら、相沢ナナミは考える。 咲いている桜も、咲かなかった桜も長い時を経て、育ってきた。 この桜は咲くことは出来なかったかもしれないが、今まで多くの人達に満開の花を魅せてきたのだろう。 もしかすると、これから自分が出来る事は、この桜がしてきたような、多くの人達の笑顔を作り上げる事なのかもしれないな、と。 トップに戻る 作品保管庫に戻る
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ラノで読む 奇妙な音が聞こえる。 それは芝刈り機のような、何か金属が回転する音のように思えた。 「何の音だ?」 夜中の国道を走るトラック、その運転手は眠っている助手席の相棒にそう尋ねた。相棒もその怪音で目が覚めたらしく重い瞼をこすりながらその音に聞き耳を立てる。 「……後ろから聞こえるみたいだな」 「おいおい、まさか“荷物”が動き出したのか? 勘弁してくれよ」 運転手は冷や汗を垂らしながら後ろに意識を集中させる。確かにその音はトラックの後ろのほうから聞こえてくるが、荷台の中からではない。そう、それはその荷台の上から聞こえてきているようだった。 「どうするよ」 「どうするって、急がないといけないし……。だけどもし“荷物”に万が一のことがあったら俺たち殺されるな」 ――殺される。そんな物騒なことを口にした運転手の顔は青く、冗談を言っている様子ではなかった。 「ちょっと停まって見てみようぜ。どうせこんな辺ぴなところ、しかも真夜中に他の車も通らないだろうし大丈夫だろう」 「……そうだな」 相棒の提案にのり、運転手は道路の脇にトラックを停めた。外に出ると冬の冷たい空気が頬を切り、呼吸のたびに肺が傷つけられるように寒かった。 「寒いな。エンジン切るなよ、暖房はつけとけ」 「わかってるよ。早く見てこよう」 二人は荷台の鍵を開け、実際に開けて中を覗いてみるが、中は暗くよくわからない。だがその“荷物”の息遣いは聞こえてきて、二人は“荷物”が無事であると判断し、ほっと胸をなでおろした。 しかし、あの奇妙な金属音はまだ聞こえてくる。 「“荷物”に異常はないな。やっぱりこの上から聞こえてくるみたいだ」 運転手はそう言い、二人はトラックから少し離れて荷台の上を確認しようと後ろに下がる。 そして二人はようやく|それ《・・》に気付いた。 トラックの荷台の上に人影があった。月明かりに照らされ、次第に輪郭がはっきりとしていくその人影は、実に奇妙なものだった。 「お、女の子……?」 その人影は小柄で、“少女”と呼ぶのが相応しいであろう。 その少女は実に奇抜な格好をしている。まるでおとぎ話の世界から抜け出してきたかのように、この夜の国道、しかもトラックの上という状況に相応しくないものであった。 その少女は真っ黒なセーラー服に身を包んでいた。短いスカートがひらひらと動き、角度によっては下着が見えてしまうだろう。彼女の長髪はバラの形をした髪留めで二つに結われて風に揺れている。 そこまでならいい。そこまでならばただセーラー服を着た少女がトラックの上に乗っているという|だけ《・・》の話だ。 二人が唖然としていたのはその少女ではない。いや、それも十分二人の言葉を失わせるには十分だっただろう。だがそれ以上に不可解な物がその少女の右腕から|生えて《・・・》いたのだ。 「な、なんだこいつ……」 あの奇妙な金属の回転音はそこから発せられていたと二人は理解した。 その少女の右腕から生えている巨大なチェーンソーの刃が高速で回転している音だと。そのチェーンソーは少女の肘のあたりから直接生え、エンジン音が轟いている。左手でそのチェーンソーの取っ手部分を握り、こちらを見下ろしていた。 「こんばんはなのぉ。お仕事お疲れ様ですぅ。わたしおじさまたちみたいな働く男の人って大好きなのぉ。お兄様に比べたら月とゴキブリくらいの差がありますけど♪」 その少女は天使のような可愛らしい笑顔を二人に向けた。その声も甘く、本当にただの子供のようにしか見えない。 だが運転手もその相棒もその少女がどういう存在なのかを一瞬で判断した。 二人は裏の世界で生きる非合法な運び屋だった。それゆえに|そういう《・・・・》存在には敏感だった。 少女のどす黒い濁った眼は彼らが何度も見たことがあるものだった。 それは、人殺しの目だった。 それもプロの殺し屋に違いないと二人は考えていた。この裏の世界は、見た目で判断してはならない。どれだけ愛くるしい見た目をしていても、殺し屋は、殺し屋だ。圧倒的な暴力で人を死に至らしめる。 「おい相棒……。あいつは……」 「ああ、もしかして――」 「畜生。だからやめとけって言ったんだ今回の仕事は。この“荷物”は俺たちには重すぎたんだ……」 どれだけ愚痴を言ってももう引き返せない。 運転手はポケットから拳銃を取り出した。相手が殺し屋である以上、自分たちの身は自分たちでは守らなければならないだろう。たとえ相手が少女であろうとも、隙を見せればこちらがやられる。 「いやぁ~。そんな物騒な物ださないでほしいなぁ。あたし拳銃って苦手なのぉ。怖いんですもの」 少女はころころと表情を変えながら二人を嘲笑っている。相棒も拳銃を取り出し、少女に銃口を向けた。二人も運び屋とはいえ裏世界に生きるものたちで、たとえ相手が子供であろうと容赦も油断もしてはいなかった。 「わたしとやるんですの? 悲しいですぅ」 少女はそう溜息をつくと、ふっと表情を消し、氷のような冷たい目を二人に向けてる。 「おじさんたちはかっこいいですけど、それでもわたしは“お兄様”のためにその荷物をもらっていかないといけないのぉ」 「やはりあれが目的か……。あれを引き渡すわけにはいかない!」 運転手はしぼるように銃口を握り、その引き金を引いた。静かな夜の道路に銃声が響き、銃口からは煙が出ている。 確かに銃弾は放たれ、少女のほうへと飛んでいったはずだった。 だが弾丸は空を切り、夜の闇に吸い込まれていった。なぜならそこにはもう少女がいなかったからである。引き金を引くほんの一瞬で、その少女はトラックの荷台から姿を消していたのであった。 「あいつ、どこに消えた!?」 運転手が横を振り向き、相棒に尋ねようとしたが、相棒は何も答えてはくれなかった。いや、語るべきを口が彼にはもうなかったのである。 相棒の首はもう、そこには存在しなかったからである。 「え――?」 彼は一瞬自分が何を見ているのか理解できなかった。だが確かに相棒の首は胴体の上に乗っておらず、切り離された首の断面から血が噴水のように溢れ出て、運転手の顔に飛び散ってくる。 その惨状に混乱し、何が起きているのか理解する前に、運転手は自分の手首から先が無くなっていることに気付いた。拳銃を握っている自分の手が地面に落ち、血が洪水のように溢れる。 「あが――」 叫び声を上げようとした瞬間、声が喉から抜けていく感覚を覚えた。それもそのはずである。運転手の首もまた、宙を舞っていたのだから。 彼が最後に見た光景は、自分の胴体が何十分割もされて地面へと崩れ落ちていく姿であった。 MIDNIGHT★PANIC 瀬賀《せが》或《ある》は医者である。 いや、ヤブ医者である。 いやいや、彼はそもそも医師免許を持っていない、モグリの医者である。 いやいやいや、そもそも彼はもう医者と名乗ってすらいない。 彼は、そう、言わば“保健室の先生”と呼ぶのが一番正しいだろう。 だが彼は教員免許も持っておらず二年の保健の授業を担当しているが、正式な教師ではないようだ。双葉学園、その高等部の空き部屋を保健室としてお情けで借りているだけである。 「ファック! また大外れだドチクショウ!!」 ヤニと薬品の臭いが充満するその保健室でそんな叫び声が響く。瀬賀はイヤホンを耳から外し、書類と雑誌で散らかっているデスクの上のラジオを蹴り飛ばした。ラジオは壊れたようにノイズを発し、地面にたたきつけられたころには完全に沈黙してしまう。 「ちっ、これで今月の当ては完全に消えたな。給料日までどうやって生きるかな……」 瀬賀は椅子の背にもたれかかり煙草を一本取り出して、苛立ちながらライターの火をガシガシとつけた。 煙草を口にくわえ、ふうっと煙を天井に向けて吐くと、ようやく落ち着いたようである。しかし煙草を吸っても目の前の現実は変わらず、競馬のレースの結果は彼の望むものではないままだ。ボサボサの髪をぼりぼりと掻き、どうしたものかと頭を抱えた。 (またしばらくパンの耳生活か。春奈《はるな》先生から苺ジャムでも分けて貰おうかな) 瀬賀は肩を落としながら保健室の白いベッドへとダイブした。ここ以外にも治療設備の整っている保健棟が存在するため、不良保健医と評判の瀬賀の部屋には滅多に生徒はこない。このベッドもほとんど彼専用になりつつあった。 瀬賀はまだ二十五歳と若く、大学どころか高校も出ておらず、十代の頃からずっとサンフランシスコで暮らしていた。そこで彼は自分の“能力”を利用して、裏の世界の住人を相手に闇医者をして生活していたのだが、とあることをきっかけにこの双葉学園で雇われることになった。 だが特にラルヴァの戦闘や援護に駆り出されるわけでもなく、彼にとってここでの生活は退屈そのものであった。 (しっかしつまんねーな。サンフランシスコにいた頃は毎日頭の上を銃弾がかすめていったもんだけど……) 瀬賀は煙草をくゆらせながらダメージの入ったジーンズのポケットに手を突っ込み、保健室を出ていこうとしていた。 どうせ自分がここにいても客なんてくるわけもなし――そう思いながら瀬賀はどこか外をブラつこうと保健室の扉に手をかける。堕落した大人である瀬賀にとってここは娯楽の少ない言わば監獄に近いものである。仕方なくマンガ喫茶で暇をつぶすかと考えていた。 だが、そんな瀬賀の思惑は突然の珍入者によって遮られることになる。 「ごらぁ出てこい瀬賀ぁ! ぶっ殺してやる!!」 突然そんな叫び声と共に扉は豪快に開かれ、金属バットを振り回しているガラの悪い男子生徒が保健室に入り込んできた。 それを見て瀬賀は慌てるというよりは呆れた様子で、やれやれと溜息を洩らす。 「なんだお前。何の用だ。保健室に来るってことはどっか悪いのか? いや、頭が悪いのはわかってるからいちいち報告しなくていいぞ。ほれ、回れ右して帰って寝ろ」 瀬賀が小馬鹿にしたように大げさに煙草の煙を吐きながらそう言うと、その男子生徒は頭の血管を浮き立たせ、顔を赤くしていた。いわゆるプッツン状態である。 「ふざけんな瀬賀! お前が真由美《まゆみ》を誘惑したんだろ! 生徒に手を出しやがってこのクズ教師!」 「真由美ぃ?」 瀬賀は首をかしげる。必死で記憶の海を検索し、なんとかその名前を思い出した。 「ああ、この間俺に告白してきた女か。なんだ、あいつお前の彼女だったのか?」 真由美というのはここの二年生だ。数日前に瀬賀はその少女に告白されたのだが、いわゆる『ギャル』っぽい少女で、瀬賀の趣味とは正反対だったため、すぐに断ったはずだ。 「そうだ、お前が真由美をたぶらかしたんだろ!」 「答えはノーだ。向こうが勝手に告白してきたんだよ。お前が彼氏なら裏切ったあの子を責めろよ。俺の知ったこっちゃねーっての」 「うるさい! お前がいなければ――!」 男子生徒は無茶苦茶なことを言って金属バットを振りおろしてきた。瀬賀はそれをさっと裂け、床にバットの頭が当たり、耳をつんざく金属音が部屋に響く。瀬賀はまいったとばかりに頭を掻く。 「ファックシット! すぐに暴力に訴えてくるなよ、猿かよてめーは」 「うるせえ! 覚悟しろ!」 男子生徒は何度も瀬賀に向かって金属バットを振り回してくる。しかしサンフランシスコでヤンキー相手に毎日のようにストリートファイトしていた瀬賀にとって、彼の攻撃は子供の駄々と変わらない。 「ちっ、めんどくせーな」 瀬賀は咥えていた煙草をぷっと吐き出し、その男子生徒の顔に当てた。火が額に当たった彼は、「あつっ!」と叫び、反射的に目をつぶる。それを見逃さなかった瀬賀は、彼の足を引っ掛け、バランスを崩して倒れこんできた瞬間に腕を締め上げ、そのまま回転するように彼の顔面をデスクの上に叩き伏せた。その拍子に金属バットは男子生徒の手を離れゴロゴロと床を転がっていく。 「ったくあぶねーな。金属バットは野球するものであって人を殴るもんじゃねーぞ」 「いでえ! いてててて! せ、生徒が教師に暴力振るっていいのかよ!」 男子生徒はねじ伏せられながらも、必死で目を動かし瀬賀をねめつけている。 「ヘイヘイ、チェリーボーイ。俺は別に真っ当な教師でもねーよ。大体な、ここは保健室だ。保健室では俺が神だ。保健室で保健医に勝とうなんて一兆年早いっての。手首へし折るぞ」 瀬賀は締め上げた男子生徒の手首を、さらにギリギリと痛めつける。 「いでででででででで!」 「いいかクソガキ。身体の治し方知ってるってことは、同時に身体の壊し方も知ってるんだよ」 そんな冷たい声を耳元で囁かれ、男子生徒は完全に黙ってしまった。そうしてようやく瀬賀は男子生徒を解放し、蹴り飛ばして保健室から追い出した。 「ほれ、湿布やるからもう二度と来んなよ」 ぺいっと湿布を男子生徒の背中にぶつけ、ぴしゃりと扉を閉めてしまった。 (まったく。元気有り余ってるな若い連中は) これが瀬賀の日常だった。暴力的で横暴な性格の彼には敵が多い。なまじ端正な顔をしているものだからこうして女性関係の揉め事も多いようだ。もっとも、彼にとってここの生徒は興味の範囲外であろう。どうやら瀬賀は自分より歳が上の女性が好みのようだ。 瀬賀が扉から離れようとすると突然、 「大変大変大変だよー! 瀬賀せんせーいるー!?」 誰かがそう叫びながら扉を開き飛び込んできた。 (今度は誰だよ……ふぅ) 校内暴力生徒が去って行ったかと思うと、入れ違いで今度は別の生徒がやってきたようだ。 目の前に瀬賀がいるのに飛び込んできたせいでその生徒は瀬賀のお腹と正面衝突してしまう。だがその生徒は小柄で、体重も軽く、ぶつかった衝撃はほとんどない。瀬賀にぶつかったその生徒は「あれー目の前が真っ暗だよ~」と呻いている。瀬賀はその生徒に見覚えがあり、呆れながらその生徒の襟首を掴み上げて引き離した。 「何が変態変態変態だ。変態はお前だろ有葉《あるは》。いい加減そのある趣味の人間の欲情を誘う格好はやめろっての」 その人物、有葉《あるは》千乃《ちの》は小学生と勘違いするほどに小柄で、ブレザーにスカートを穿いている。だが有葉は女の子ではなかった。れっきとした高校生男子である。もっとも、そう言われなければ絶対に気付くことはできないほどに愛らしい容姿をしているのだが。彼は二年H組の生徒で、そのクラスの保健の授業は瀬賀が担当しているのだった。 しかしいつもニコニコとしている有葉だが、今は少し焦っているような表情をし、ばたばたと腕を動かして瀬賀に訴えていた。 「違いますよぉ、瀬賀せんせー! 変態じゃなくて大変なんですってばー」 小柄な体を動かして必死になっている有葉を見て、瀬賀もその真剣さを理解し、表情を引き締めた。 「フムン。それでなんだって。何が大変なのか説明しろって」 「あ、あのね。あっちで女の子が血を出して倒れてるの!!」 それを聞いて瀬賀はだるそうな顔から、保健医としての表情に切り替わった。 「ファック! そりゃ最高にまずいな。いいぜ行ってやるよ有葉。この天才ドクター瀬賀様の超診察を見せてやろう」 瀬賀は壁にかけていたヤニで黄ばんでいる白衣を羽織り、救急箱を手に持って有葉と共に廊下を走っていく。 とてとてと小さい足を必死に動かして走る有葉を瀬賀は後ろからついていき、たどり着いたのは高等部の中庭だった。瀬賀は青い芝生を踏みしめながら辺りを見回す。中庭は広く、植物が異様に生えており、視界を遮る植物の葉のせいで、全体を把握するのは至難だろう。 「それで有葉。怪我人はどこだよ」 「こっちですよー」 有葉が指をさした方向に瀬賀は走っていく。するとそこには数人の生徒たちが集まっていた。なんだか不穏な様子だ。瀬賀は眉を寄せながら彼らに呼びかけた。 「おーい。お前らどうしたー?」 すると、その生徒の輪の中から一人、妙齢の女性が瀬賀の方へ走り寄ってきた。その女性ははらはらと瞳に涙を浮かべ、瀬賀の腕にしがみついている。 「瀬賀先生! 大変なんです! まさかあんなところに女の子が倒れてるなんて……。すごい血だらけで、私も失神しかけてしまいました……。春部《はるべ》さんが病院に運ぼうって言ったんですけど、動かしたら余計に危ないかもって思って……。でももし私の判断ミスであの子が死んじゃったら責任追及されてこの学園から追放されてしまうかもしれません……。そうしたら実家に戻されてまたお見合いを――」 「あー、練井《ねりい》先生。そんな上目遣いで涙を流しながら腕を引っ張られると俺勘違いしちゃいますよ。ともかく落ちついてください。どういう状況なんですか」 その女性は涙を拭い、ふうっと瀬賀の瞳を見つめた。彼女は練井|晶子《しょうこ》(二十八歳)。有葉たち2年H組の担任である。 「もう、そんな皮肉はやめてください瀬賀先生。どうせ私は魅力ないですから、私見たいなおばちゃんに瀬賀先生は興味ないんでしょう。ここに来る前は金髪美女を何人もはべらしていたって聞いてますよ。それに比べて私は地味でスタイルもよくないし春部さんのがよっぽど――」 「いやいやいや、練井先生は十分魅力的ですってば。それに俺とは三つしか年齢変わらないでしょう。ってだからそんな話をしてる場合じゃなくて! 怪我人はどこです。誰なんですか!?」 瀬賀は練井の肩を揺さぶり、彼女ははっと我に返った。そして震える指で植物の茂みに隠れるように倒れている少女を指した。その脇には有葉の友人(彼女いわく|婚約者《フィアンセ》)の春部《はるべ》里衣《りい》が硬い表情をして立っている。野次馬で集まっている生徒たちを近寄らせないようにしているようだった。彼女はネコのようにしなやかな肢体に、アイドルが裸足で逃げ出すほどに魅力的なボディが特徴的だ。瀬賀に気付いた春部は、そのネコ目で彼を睨みつける。 「やっときたのね、このヤブ医者」 「ファック。黙ってろネコ娘。ここからは俺の出番だ。これ持ってろ」 瀬賀は白衣の襟を正し、春部に救急箱を押し付け、瀬賀はその倒れている少女の前へ膝を下ろす。 その少女の怪我は、一目見ただけで致命傷だとわかった。 彼女の右腹部からは大量の血が流れている。辺りの植物の葉や、芝生に赤黒い血がこびりついている。腹部が刃物のようなものでズタズタに切り裂かれたような痕があるが、傷はそこまで深いようではないようだ。だがその傷口からは少しずつ今も血が流れている。飛び散った血の凝固具合を見るに、彼女が怪我をしてから数時間は経っているようである。自体は一刻を争うものだった。 瀬賀はその少女の白い頬に触れる。血が流れているため酷く冷たい。 (何歳だこの子。小学生くらいに見えるが、有葉の例もあり見た目だけで年齢を判断することはできないな。何歳かはわからないがこの体躯じゃこれ以上血を流させるのはマズイ) その少女の格好を見るに、双葉学園の生徒ではないだろうと瀬賀は思った。ここの制服ではなく、どこかの国のお姫様のような黒いドレスを着こんでいる。しかしこの島では奇抜な格好な人間は多くいるので、一概に判断できないだろう。 (全裸やら着物やら、挙句の果ては女装やピエロの格好したやつまでいるからなここは。ほんと変態ばっかだぜ) だが、瀬賀が一番目驚いたのはその少女が日本人には見えないことだった。少女の髪は鮮やかなブロンドで、肌も白く、西洋系の顔立ちをしている美少女である。 (まあ、ここはラルヴァの生徒もいる双葉学園だ。外国人くらいで驚くこともねーか) 瀬賀はぼりぼりと頭を掻き、ふっと春部のほうへ振り向いた。 「春部。救急車は呼んだのか?」 「呼んだわよ。でも救急車が来る前に死んじゃいそうよ、なんとかしなさいよこのヘボ医者!」 「ふぅ、俺は別に医者じゃないんだけどな……」 口調はきついが、春部もまたその少女のことを心配しているのだろう。瀬賀は肩をすくめながらもにやりと笑った。 「オーケー。じゃあプロが来る前にチャッチャっと応急処置を済まそう。どっちにしろ今処置しないと間に合わないだろう」 「た、助かるの瀬賀せんせー? 大丈夫かなぁ……」 有葉も恐る恐る心配そうに覗きこんできた。一体この少女がなぜこんな怪我をし、こんなところで倒れているのか見当もつかないが、今はただ目の前の患者を助けることに集中するべきだと瀬賀は判断した。 「さて、いっちょやるか」 そう呟き、瀬賀は救急セットをその場に広げ、メスや包帯に糸をざっと取り出した。両手にゴム手袋をはめ。目を瞑り、精神を集中していく。まるで瞑想をするかのように微動だにしない。 「ちょっと。何寝ようとしてんのよ! 早くしなさいってば!! 少しは医者らしいことしなさいよ!」 「俺は医者じゃねえよキティちゃん。まったく、憎まれ口きかないと死んじゃう病かよ。その口縫い合わせちまうぜ――ファック、そんなことはどうでもいい。さて、術式開始だ」 カッと目を見開き、瀬賀はその少女の体全体を凝視した。すると瀬賀の両眼は真紅に染まり、瞳孔が開いていく。 (“|医神の瞳《アスクレピオス》”発動――) その瀬賀の瞳には人体の総てが見える。 神経の一本一本。血液の流れ。その肉体が持つ特徴や、弱っている部分。どこをどう繋ぎ合わせれば傷を治すことができるのかが彼の眼には映る。腹部の裂傷、出血、それらを総て塞ぐ手順が彼の脳内にイメージとして流れ込んでくるのだ。 (これは……。酷い傷だ。生きているのが奇跡なくらいだな。早く手を打たないと) 人体構造を把握した彼の手は自然に動き、彼女の傷を見る見るうちに塞いでいく。その手さばきは素早く、はたから見れば千手観音のように彼の手が無数にあると錯覚するほどにその手つきは完璧だった。ガーゼを傷口に当て止血止血止血。入り込んでいる土の汚れなどを取り出し、糸でその傷口をひたすら縫合していく。それはほんの一瞬の出来事。わずか一分足らずで応急処置は終わってしまった。それを見ていた他の三人はぽかんとしている。 「よし、ばっちりパーフェクツ! これでオールオッケーだ」 「ほ、ほんとに大丈夫なの?」 「とりあえずは――な。でも危険な状態には変わりない。早く輸血しないと駄目だ。あとは救急車が間に合うのを待つしかねぇよ」 どっと疲れが来たようで、滝のような汗を大量に流し、瀬賀はその場に倒れこんでしまった。 「せ、瀬賀先生!」 倒れた瀬賀を心配して、練井は彼の元へ駆け寄った。意識はあるようで、ただ純粋に疲弊しただけのようである。 「だ、大丈夫ですよ練井先生。ちょいとばかし疲れただけです。俺のこの“修復《リカバー》”は結構体力使うんですよ。まったく、腕が痛いぜ。俺も普通の治癒能力《ヒーリング》だったら超能力でちょちょいと処置できるんだが」 瀬賀の異能“|医神の瞳《アスクレピオス》”は修復《リカバー》と呼ばれる種類のものだった。怪我を直接治す治癒《ヒーリング》や、病気を治す治療《キュア》でもなく、修復《リカバー》はあくまで異能者の医療技術を底上げするものである。 瀬賀の場合はその瞳で人体構造を把握し、怪我を治すためのプロセスが天啓のように頭に流れ込み、自分の体力を削って凄まじい早さで傷を塞いでいくものだ。 修復《リカバー》は言うならば手術の“省略”。人体構造を把握し、どこをどうすれば治るのか、それが瀬賀には|視える《・・・》のだ。だがこれは瀬賀自身に負担になるものであった。能力を使った後はこのように立つのもやっとなほどに疲弊してしまう。 「これじゃ瀬賀先生も救急車に乗せてもらった方がいいですね」 そう言いながら練井は瀬賀の身体を支えている。なんとなく気恥ずかしかったが、実際膝が笑っており、強がってもいられないな、と瀬賀は思った。 「ちょっと、ヘボ医者。練井先生に抱かれて鼻の下伸ばしてんじゃないわよ」 「うるせー蹴るなっての。役得だろ。お前みたいな減らず口の小娘より練井先生のが断然魅力的だね」 相変わらず春部の口は悪いが、その表情を見るに少女が一命を取り留めたことに胸をなでおろしているようだった。 「あっ、救急車の音が聞こえるよみんなー」 有葉が耳を澄ませながらそう言う。彼の言うとおりに救急車サイレンが近づいてきている。 「おっと、ようやくおいでなすったか。それにしても一体この子はなんなんだろうな……」 瀬賀は安堵しながらも、その少女を見つめて不可解そうに呟いた。 ※ ※ ※ 学園都市部のビルの屋上にその人影はあった。 その少女は黒いセーラー服姿で、この学園の生徒たちとは明らかに違う制服である。 少女のスカートのポケットから軽快な音楽が聞こえてきた。それは携帯電話の着信音のようで、少女は慌てて電話取り出し、通話ボタンを押す。そこからは彼女の良く知る人物の声が聞こえてきた。 『やあ我が妹、フラニー。首尾はどうだい』 そこから聞こえてきたのは若い男の声だった。フラニーと呼ばれたセーラー服の少女は、少し緊張した様子で通話を続ける。 「あ、あの“お兄様”……」 『どうしたんだい、元気がないようだね』 「ごめんなさいお兄様。“あれ”を逃がしてしまいましたですの」 フラニーがそう謝ると、電話の向こうの声は黙まってしまう。 「あ、あのお兄様……」 『お前死にたいのか?』 背筋が凍るような冷たい声が返ってきた。その声にフラニーは震え、歯をかちかちと鳴らしている。彼女にとってその電話の相手はよほど畏怖しているのだろう。 「ごめんなさいごめんなさいお兄様。ごめんなさいお兄様。どうかわたしを嫌わないでください。どうか見捨てないでください」 『…………』 フラニーは必死にそう謝るが、電話の向こうの声は押し黙ってしまった。 「大丈夫ですのお兄様。わたしは“あれ”に傷を負わせましたんですの。きっと今頃死んでるに違いないですぅ」 『“あれ”の再生能力をお前も知っているだろう。すぐに傷は塞がってしまう』 「大丈夫ですわお兄様。わたしの右腕の刃は銀で出来ていますの。きっと傷口は塞がらず、血を流し続けてそのうち死んでしまうですぅ。あのオチビさんに自分で止血する技術があるとは思えないですの」 『それは素晴らしいねフラニー。でも血が出れば目立つ。もし誰かに保護されていたら厄介だぞ』 「そうしたら保護してる連中も含めて皆殺しにしてあげるですぅ」 フラニーはそう強く言った。 『よく言ったね。それでこそぼくの妹。“|少女地獄《ステーシーズ》”の末妹だ。成功させれば今回の失態には目をつぶってあげよう。そうしたらシナモンティーでも一緒に飲もう』 「ありがとうございますお兄様。必ずやお兄様のご期待に答えますですぅ」 そうして通話は切られた。 フラニーはこの双葉島に逃げ込んだ“標的”を探すかのように、屋上から街を見下ろしていた。 「化物め……。わたしをコケにしやがって……ですぅ。絶対に見つけ出してバラバラにしてグチャグチャにして殺してやるですの!」 フラニーはそう吐き捨て、怒りで可憐な顔を醜く歪ませていた。 中編へすすむ トップに戻る 作品保管庫に戻る
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らのらのhttp //rano.jp/1080 立浪姉妹の伝説 -その栄光と末路- 第四話 大熊のラルヴァ 二十一時を回った、遅い時刻。 立浪みかは帰宅するなり、すぐに寝室のベッドに突っ伏した。前のめりに倒れるよう、彼女はばったりと倒れこんだ。 「はあー、いくらなんでも百体連続でロボットと戦うのは無理だってぇ!」 そう、わざとらしく大声で言ってみせる。 しかし、みかは本当に疲れていた。本当はそのように明るく振舞うことが困難なぐらい衰弱していた。彼女の思ったほど、声は出ていなかった。 そんなみかの枕元に、三女のみくがやってくる。ボロボロになった姉を前にして、涙が溜まっていた。みかはそれを見ると、傷だらけの顔で笑みを作ってみせた。 「なーに泣いてんだい。お姉ちゃんは全然平気だよ。こんなの全然、へっちゃらだよ」 そして、寝室に次女・立浪みきがやってくる。お気に入りのジャンパースカートには、数多くの切れ込みやこげついたような黒い穴、自分の血液などが付着していた。 「足腰がもうふらふらです・・・・・・。みくちゃ、ごめんね。私の代わりにごはん作ってもらっちゃって」 「そんなのどうだっていいのよ! もうやめなよ! 私には連中の意図がわからない! どうしてこんなにボロボロになるまで、研究に付き合うの?」 みくは、涙をたくさん絨毯に零しながら二人に怒鳴った。 みくは寂しくてしかたがなかった。楽しかった姉妹の日常が、どこからおかしくなってしまったのだろう? いったい誰が幸せな日常を奪ったのだろう? どうしてこんなことになってしまったのだろう? 本当は夕方にみんなでご飯を作って、おしゃべりでもしながら夕飯を食べて、みんなで一緒にお風呂に入って、みんなで一緒にゆっくり眠りに着きたいのに。みくは幸せな日常を奪った超科学の連中を、心から憎んだ。 みかとみきが超科学者たちの研究に力を貸すようになってから、遅い時間に帰宅する日が続いていた。連日遅くまでロボットと戦わされ、与田技研お得意の家芸である擬似ラルヴァともたくさん戦わされた。それも、パラメータが極端に振られた強敵との、むやみな戦闘を強いられた。身体検査では、裸から内蔵まで隅から隅までまるまる見られ、血液も大量に採られてきた。 姉妹の疲労は目に見えて蓄積されていった。みきの担任が彼女の衰弱ぶりを気にかけていたが、今、その担任は日本にいない。もう誰も、姉妹にやめるよう促す者はいなかった。この幼い三女だけを除いては。 「死んじゃったらどうすんのよお・・・・・・えっぐ、ひっく・・・・・・」 「私たちは死なないよ、みくちゃ。また今度、一緒にお料理しようね」 帰りが遅く、疲れで料理もできないほどであった。だから姉妹の食事は、九歳のみくがすべて一人で作っていた。みきから伝授された手料理の腕は、皮肉もこのような形で役に立っていた。 「どうしてって、まー、世界の平和のためかなあ」 みかが仰向けに転がってから、みくの質問にそう答えた。 「私も姉さんと一緒。この力でみんなを守っていきたいから、頑張ってるんだ」と、みきもそう言った。「私たちのこの強大な力は、ラルヴァと戦っていくみんなや、力を持たない普通の人々、社会、そして優しい暮らしを守っていくためにあると思うの。私はこの 島の人たちが好き。学園のみんなも大好き。そんな人たちを、一人も死なせたくない。かけがえのないもののためなら、私はいくらでも頑張れるよ」 自分の力を、人の役に立つために使うこと。 みくが、二人からしっかりと教えられてきたことだ。つまりは、そういうことをみきは言っているのだ。 それは幼い三女にとって、理解できるようで・・・・・・できなかった。 彼女はもっと、姉たちにかまって欲しかった。一緒に遊んでほしかった。優しくしてほしかった。 「でも・・・・・・でも」 泣きべその治まらないみくを、みかがベッドから起き上がって抱きしめた。 「お前は寂しんぼの甘えんぼだからなあ。いつも一人にしてごめんなあ」 そう、三女の頭を撫でて言った。 その温もりと匂いを確かめるように、可愛がる。 「あたしたちはちょっと他の奴らとは違って、妙に強すぎる部分があるんだ。それがどうしてかは、あたしにも、みきにもよくわかっていない。もっと自分の力をコントロールできるようになるためにも、超科学の兄ちゃんらの力を借りたいとこなんだよ」 みか自身も、数日前の件を複雑に思っていたことだろう。ロボットと戦っているうちに膨れ上がっていった、破壊の衝動。圧倒的な強さ。自分でも恐ろしいとさえ彼女は感じていた。 そんな長女の気持ちを察したか、みきもこう言った。 「私たちの力は、まれに自制を失って暴走しかける場合がありますからね・・・・・・」 「・・・・・・わかったよ。二人がそう言うのならもういい! 知らない!」 拗ねたみくは、みかの抱擁を振りほどくと部屋から出て行ってしまった。二人の姉たちは、そんな怒りんぼな末っ子のことをくすくす笑って見送った。 「みくちゃには、申し訳ないですね」 「まあね。でも、あと少しの辛抱だよ」 と、妹の温もりが恋しいみかは言った。 「早くやることやって、終わらせて、また三人でゆっくり過ごして暮らそう。あたしは島のみんなを守ることに生きがいを感じてるけど・・・・・・。それでもやっぱり、一番大切なのは『家族』なんだから」 はい、同感です。みきはそう言った。 そんな二人の気持ちが通じたのか、与田は気を利かせて二人に休暇を与えた。それは偶然の出来事であった。 「やっぱ過労で目に見えて弱ってたんだってさ。ふん、そんだけ働かせたのはどこのどいつなんだかなあ」 「あの人の嫌な顔を見る必要がないんですよね、とっても嬉しいです」 「うわー。みき、お前も言うねえ。お姉ちゃんゾッとしちゃったぞ」 などとふざけて小突きあいながら、二人は園内を歩いていた。 いい天気が続くのが嬉しい。今朝もからっと晴れた洗濯日和で、みきは溜まっていた洗濯物を一気に始末することができた。 そうして工学部の研究塔から、急ぎ足で校門を目指しているところであった。時刻はまだ十五時過ぎ。早く家に帰り、寂しがるみくを二人で徹底的に可愛がってやろうと目論んでいた矢先のことであった。 二人の白い猫耳が、ビンと立ち上がったのだ。足を止め、真面目な目つきをして同じ方向を瞬時に振り向いた。 「・・・・・・あら残念。出たようだね、みき」 「そのようですね。行きますか?」 「当然だろう! 早く終わらせて、みくのところへ帰ろう! 今晩はあの子を寝かさないぐらいイチャイチャしてやろう!」 校門を飛び出すと、マンションとは違う方向へ走っていった。途中から塀に登り、民家の屋根に飛び上がる。姉妹は空を飛ぶようにして島を移動していった。 当時の双葉島には、住宅地を造成している箇所がまだ存在していた。 現場は山を切り崩しているところであった。最初に造られた人工の山を、住宅用地として転用するためである。非常に稀なケースであったが、島も完成から二十年近く経っているのでこのような土地の整理も度々あったのだ。 現場に近づくと、黄色いヘルメットを被った工事の作業員や監督者が、おそろしい形相をして走ってきた。重傷者が出ている。大怪我を負った者は全身血まみれで、肩に担がれていたりタンカで運ばれたりしていた。 「どうしたの! 何があったの!」と、みかは逃げてきた一人を捕まえてきいた。 「野獣が、野獣が山から下りてきて襲いかかってきて、ひいいいいい?」 彼はみかの手を振りほどくと、一目散に逃げてしまう。そして、ずどんと背後から聞こえてきた、足音らしき轟音。 姉妹は、ショベルカーやダンプカーを押し倒してはつかみ上げて投げ飛ばす、黒い毛皮に包まれた異形を見る。 「何だあ、でっけえ! すっごくでっけえ!」 「熊でしょうか? 一般的な動物である熊を逸脱してます」 「典型的なビーストタイプのラルヴァだね」 二人がそう言っている間にも、巨大な熊は雄たけびを上げながら重機を持ち上げ、ミニカーを与えられた子供のように投げつける。切り崩して露出した山肌に、ダンプカーを叩きつける。 「すごい怒りようですね。彼は何をこんなにも主張しているんでしょうか?」 「参ったなあ。勢い余って町のほうまで出ちゃいそうだなあ」 みかがそう言ったとき、熊がこちらをギロリと睨みつけた。二匹の仔猫はどきっとして驚いた。 熊は大木をばきばき引っこ抜くと、それを片手投げで姉妹にぶつけてきた。 「ちょっとおおおお!」 「いやああああああ!」 二つに割れるよう、姉妹は左右に飛んだ。弾丸と化した大木はそのまま真っ直ぐ飛んでいき、遠くに消えていった。 「おいおい、こりゃ抑えないとまずいぞ。かわいそうだけど、やっつけよう」 「はい!」 みかとみきは同時に瞳を輝かせ、完全体へと移行した。 ハンマーのような大きすぎる拳で、熊がみかに殴りかかる。 それを、みかは真正面から受け止めた。 「ぎいいいいいい! 最近なぜか、こんな力勝負ばかりだなあああああ?」 と、歯を軋ませながら言った。小さなシューズが未舗装の道路にどんどん埋め込まれていった。 分が悪いと早々に判断したみかは、その拳を振りほどいて自慢のグラディウスを具現させた。左腕を後ろに振りかざし、熊の大腿に斬りかかる――、が。 がきんと、短剣は弾き飛ばされてしまった。みかは驚いて、「げ! 何だよ、こいつの筋肉すごく硬いぞ!」と大声を出す。 そうして後ろを向いたところを、熊に思い切り殴られてしまった。大型トラックに轢かれるように、みかは大きな拳によって吹き飛ばされてしまった。 「姉さん!」 熊とは距離をとっていたみきのところまで、彼女は吹っ飛ばされて転げまわってきた。みかは辛そうに苦悶の表情を浮かべた。 「やべ・・・・・・。胸骨折れちゃったかもしれない。ちょっとしんどい」 その一言に、みきの心臓がとくんと呼応した。 (私がやるしかない) 姉さんが無理なら、私が今ここでやっつけるしかない。 即座にそんなことを思ったのだ。 暴れて吼え続ける熊のことをじっと見据えている彼女に、仰向けのみかはこう指示を与えた。 「みき、応援がくるまで時間を稼いでくれ。お前の戦い方なら、それができる」 「・・・・・・姉さん。私に全部まかせてください」 「え? お前、無理しなくても」 「私があの熊を、撃破してみせます!」 みきはオッドアイを瞬かせた。姉猫の「ちょっと、おい! みき!」という制止も振り切って、彼女は鞭を右手に飛びかかる。 熊は二匹目の仔猫に対しても攻撃の手を緩めない。握りこぶしを道路に叩きつけては路面を割り、裏拳を繰り出しては山肌を砕き、踏み潰さんと跳躍しては、島をぐらぐら揺さぶった。野獣の咆哮をあげるそのたび、よだれを滝のようにだらだら流していた。 そんな猛攻を、みきは辛うじて回避することができた。姉ほど俊敏な・華麗なものではないが、不恰好でも何とか攻撃を受けずにやりすごすことができた。 しかし、そんな次女を熊はつかみ上げてしまった。ぎりぎりと、みきの華奢な体を締め上げる。 「あああああ!」 「み、みき・・・・・・ぐっ!」 みかはぐらりと立ち上がり、左手に短剣を呼び戻す。近づこうとするが、怪我によってまともに歩行ができない。 握り締められているみきは、やっとのことで自分の右腕を出すことができた。再び鞭を右手に呼び寄せ、熊のわき腹にばちんと一発叩き込んだ。 熊は痛そうにして叫び声を上げると、みきを解放する。彼女は崩れるようにして地面に手を突くと、けほけほと喉元を押さえながら咳き込んだ。 「みき! 何やってんだ!」と、みかが怒っている。「どうして後ろに下がる戦い方をしない! お前らしくもない! お前じゃ無理だから、おとなしく無茶はやめろ!」 お前じゃ無理だから。 その台詞に、また、どくんと心臓が呼応した。 (私じゃ無理・・・・・・? そんなわけがない・・・・・・) と、みきはみかの言ったことを真っ向から振り払って、自分にこう強く言い聞かせる。 (私だって、私だって猫の血筋を持ってるんだから! 姉さんに負けないぐらいの力があるはずなんだから!) 右手に青い鞭を握り、もう一度瞳を輝かせる。しかし、その両目が次に見たものは、自分を押しつぶさんとばかりに降りかかる熊の握り拳であった。 「あ、嘘、しまった」 巨体に日を隠される。みきの絶望に歪んだ顔面に、黒い影が覆いかぶさった。 「みきいいいいい!」 みかは精一杯の大声で叫んだ。 そして、それは起こった。 みかの叫び声が上がったのと、ほぼ同時であった。みきはとっさに、熊の顔面目掛けて鞭を射出していたのだ。まさに無我夢中であった。 鞭の先端は、熊の右目に直撃する。熊は絶叫を轟かせながらその場で肩膝をついた。 眼窩から噴き出た、大量の鮮血。 みきは「血」が苦手である。そんな彼女は真下から残酷な光景を目の当たりにしたあげく、熱湯のような血液を全身に浴びてしまった。 「あ、あ、あ」 彼女の両目から涙が溢れ、喉の奥からかすれた悲鳴が出てくる。 どくん。どくん。 みきの心臓がただならぬ速さで鼓動を始めた。もう彼女の手に負えないぐらい心拍は加速を続け、暴れ続け、とてつもないものになっていった。 立浪みきは、異能者として精神的に弱すぎた。 温和で優しすぎること。繊細な泣き虫であること。争いごとがもともと苦手であること。「血」をまともに見ることができないこと。そして、みかに対するただならぬコンプレックス。 ・・・・・・だからこそ、己の内在に眠り続けていたその「力」に、付け入られたのかもしれない。 ぞくぞくと凍てつくような悪寒が治まらない。まったく治まらない。唇を震わせたままで、彼女は無心のままにもう一度、鞭を横に振ってみた。 熊は眼球を潰されたショックで、全身の鋼のような筋肉を弛緩させていた。 左ひじから先が、ゴトリと切断されて落下する。それはまるで、林檎が木の枝から落ちたかのようだった。 血液はますます工事現場を赤く染め上げる。乾いた泥のこびりついた重機も、黄色い山肌も、みんなみんな赤くなっていった。みきも無表情ままで、ますます血に濡れていった。 しかし、その無表情には「恍惚」と言い換えられるものがあった。 彼女は理解する。このゾクゾクと自分を震わせる感覚は、「悪寒」なんかじゃない。 「快感」だ・・・・・・! 血を見るたびに、浴びるたびに、己をびしびしと仰け反らせるエクスタシー。 快感というものは、そこに到達するまでに強い勇気を必要とするものだ。立ちはだかる恐怖に果敢に立ち向かい、乗り越えることで到達することができるのだ。天国にたどり着くことができたら、あとはむさぼるように幸福を享受するのみ。快楽のとりこになるのみ。 みきの口角が、ゆっくりと上向いていく。いつものおっとりとした優しい表情をぶち壊し、物々しい牙を露出させる。 熊の涙に濡れている片目だけが、その恐ろしい変化を目撃していた。先ほどの勇ましさはもはや微塵もない。怯える子犬のような表情で、どんどんあとずさっていった。 みきが、一歩前へ踏み出した。熊は背中に山肌が触れたのを感じた。追い詰められたのだ。 懇願した。命だけは助けて欲しいと懇願した。俺には一人息子がいるんだと、見逃すよう必死に懇願した。まったく違う別の色に塗り替えられてしまった彼女の両目に、彼は一生懸命訴え続けた。 そんな無様な熊のラルヴァに対して、みきは慈悲でも恩赦でもなく。 鞭の先端を顔面にめり込ませた。 「みき! もうよせ! もういい! やめろぉ!」 みかは左右にふらつきながら、暴走を続ける次女を止めるために前へ進む。 凄惨だった。熊は顔面を潰され、中身をかき回され、四肢を切断され。 巨大な胴体も、切り開かれたこの山のごとく縦に切り裂かれて・・・・・・。それでもなお、みきは鞭を何度も叩きつけて、無言で淡々と熊の肉体を刻み続けた。 やっとのことでみかが彼女の背中まで到達し、その肩に右手を置く。 「もう終わったんだ! そこまでやる必要はない、もうやめるんだ!」 みきはゆっくりと、その目を自分の長女に向ける。 彼女の瞳は、赤い血の色に塗り替えられていた。 「ひいっ!」 たまらず、みかは視線を逸らしてしまった。それからもう一度、恐る恐るみきと向き合う。 「・・・・・・姉さん?」 そこにあったのは、いつものきれいなオッドアイだった。みきは普段の、弱弱しい頼りなさそうな表情に戻っていた。 そして彼女は前を向いて、言葉を失う。 「何・・・・・・これ・・・・・・?」 肉塊。路面を埋め尽くすよう巻き散らかされた、肉塊。おびただしい量の血液が、まるで過剰にかけられたソースのように赤々と広がっている。 自分の両手も見る。自分の両手もまた、熊の血によって真っ赤に染まっていた。 「これ、私が、やったの・・・・・・? 嘘でしょ・・・・・・」 そう消え入るように呟きながら、みきはその場に崩れ落ちた。 「みき!」 みかはそんな彼女を抱きかかえてやる。気を失ってしまったようだ。 そんな彼女たちの前に、小柄な動物が寄ってくる。それは小熊であった。 小熊はぽてぽてと死体に近づくと、二本足で立ち上がり、急激に身長が伸びる。やがて、人間の少年と大差ない背丈・骨格に変化した。 「・・・・・・父ちゃん!」 彼は震えながらそう言った。はっきりと人の言葉をしゃべった。ばしゃんと血溜まりを踏むと、残された上半身に飛び込んでおいおい泣き喚く。 「お前、この熊の子供だったのか・・・・・・!」 翠眼を見開きながら、みかはそう言った。 双葉学園の「超科学者・有識者会議」に招かれた醒徒会のメンバーは、誰もが言葉を発することもできず、黙りこんでしまっていた。 「・・・・・・と、いかがでしたでしょうか。以上が立浪みきの正体です」と、与田光一は彼らに言った。「立浪みきが、『ラルヴァ』としての本性を発揮させた瞬間です」 スクリーンには、立浪家の次女がラルヴァの熊を惨殺する、決定的な瞬間が映し出されていた。そのむごすぎる映像に、醒徒会のうちの一人は退出してしまったほどであった。 まず熊の額を鞭で割り、ダウンさせる。それから腕と脚を一本ずつ、鞭で斬ったりねじ切ったりして辺りに血液を撒き散らす。熊の悲鳴が山中に響き渡る。 その喉元を、あの猫娘は掻っ切って黙らせた。頚動脈を切断されて、鮮血が山なりに吹き上がる。 立浪みきは血に濡れてにたにた笑いながら、無言ですっと右腕を上に上げる。 ざくん。すると、切れ込みを入れられた熊の腹がぱっくりと割れてしまい、内臓が盛り上がるように露出した。 もはや悲鳴も上げられない熊は、眼球が飛び出そうなぐらいに目を見開き、ぴくぴくと痙攣していた。最後、熊の顔面に鞭の先端が突き刺さった。 骨や筋肉や、脳髄をすべてミキサーにでもかけて混ぜ合わせてしまうように、立浪みかは鞭の先で熊の顔面の中身を、嬉々としてかき混ぜていた・・・・・・。 本当に、ひどい光景であった。学園のアイドルが、まさかこんな行動に出るなんて。 何よりも、彼女の禍々しいぐらいに赤く輝く視線が醒徒会のメンバーを戦慄させていた。 「一連の映像は、私の情報収集ロボット『コレクター』で撮影したものです。 本日、住宅地造成中の山にて、熊のラルヴァが発生し、工事現場を強襲しました。それを素早く察知した立浪姉妹は、すぐさま現場に急行しました。私もその情報をつかんでから、急遽『コレクター』を現場へ派遣しました。そこで私どもが目撃したのが・・・・・・残念なことに、このような現実であったということです」 そう、与田は目を瞑って神妙に報告をする。 「これは、本当にラルヴァの血なのか?」と、醒徒会の副会長がきいた。「彼女たちの主張する、猫の血が暴走した結果じゃないのか? 確かに惨たらしいと思うが、私たち学園生はこの力に何度も助けられてきたというのも事実なんだ」 超科学者を代表して醒徒会に調査結果を報告している与田は、白衣を着た自分の部下からA4サイズの資料を受け取った。それを醒徒会に配布する。 「生物学部とラルヴァ学部の共同調査による結果が、つい数時間前に判明しました」 ご覧ください、と、与田は言った。2016年当時の醒徒会長はそれに目を通すと、言葉を失った。 『被検体両名の遺伝子から、ラルヴァの物と思わしき因子を検出。過剰な戦闘能力を鑑みて、必要な処置を行う必要あり』 もう、あれこれ反論する者は出なかった。双葉学園の誇る両学部による調査なら、この結果は確実だ。絶対だ。 「我々は血液検査といった身体検査も、すべて隈なく実施し、調べ上げました。遺伝子レベルで証明されてしまえば、もう調査は佳境を越えたも同然です。非常に残念ですが、仮説は証明されました」 「そんな・・・・・・立浪姉妹が・・・・・・」 醒徒会長は涙を零しながらそう言った。まさか、誇りある双葉学園にラルヴァが紛れ込んでいたなんて。学園のみんなに愛されている猫耳姉妹が、ラルヴァだったなんて。 「いいですか、醒徒会長。これは由々しき事態です」 与田は感情の一切こもっていない口調で、静かに語り始めた。黒縁のメガネがプロジェクターの明かりに反射して、白く浮かび上がっている。真剣な表情をしているはずなのに、どこか不気味な雰囲気が漂ってくる。 「『醒徒会』とは何でしょうかね? 会長?」 会長は与田と向き合った。初めは彼が何を言い出したのか、理解できなかった。与田は会長の返事を待つことなく、こう続ける。 「それは学園の頂点であり、トップであることを意味します。そうですね? 会長?」 「・・・・・・ああ、そうだ。我々醒徒会が、この学園のトップであり、上限であり、抑止力だ」 「どんな脅威に対しても」 「どんな殺戮に対しても」 「必ずそれらを抑えることのできる、最後の砦。学園最強の集団。それが醒徒会であると、僭越ながら私も心得ております」 醒徒会の面々は全員下を向いて、与田のほうを見ることもしない。彼がこれから意見しようとしていることが、もうわかっているからだ。 「ならば、むやみに強すぎる生徒は粛清しなければなりませんね。なぜならば、醒徒会は学園最強の集団であり、リミッターであるのだから」 「・・・・・・」 「もっと言えば、立浪姉妹は学園の希望でも、可愛いアイドルでも、誇りある学園生でもありません。『ラルヴァ』です。人類の敵なのです。脅威なのです」 今日までラルヴァによって、人間社会にどれだけの被害が出たことでしょう? どれだけの、目を覆いたくなるような悲劇が生まれたことでしょう? 恋人を無残に殺された女性もいます。 クラスメートをいっぺんに数人、奪われてしまった担任もいます。 手塩にかけて育ててきた娘を血祭りに上げられた父親だっています。 大切な人を奪われた悲しみ。憎しみ。 冷たい言い方をすれば――それはしょうがないことなのでしょうか? ここは『ラルヴァ』がいる世界だから、しょうがないことなのでしょうか? 『ラルヴァ』のしわざだからしょうがない、と片付けられてもよいことなのでしょうか? どんな理不尽な暴力であっても、『ラルヴァ』だからどうしようもない。そう、被害者が泣きを見るようなこのままの世の中で、私たち学園生はそれでいいのでしょうか? いいえ、違いますとも。今こそ異能者が立ち上がるときです。 これ以上、血や涙が流されないよう、異能者が先頭を切って『ラルヴァ』と立ち向かっていくべきです。一般人と違ってそれができるのは異能者です。そうでしょう? 一般人の暮らしや明るい未来を守ることのできるのは、我々異能者だけです。そうでしょう? 『ラルヴァ』は人類の脅威です。カラスだろうがゴキブリだろうが、無害だろうが友好的だろうが、関係ありません。『ラルヴァ』は異能者によってすべて殲滅されるべき害悪の総称です。 その害悪を倒すのが我々異能者の『役割』であり『存在意義』。そうでしょう、会長? ・・・・・・立浪姉妹は『ラルヴァ』なのですから、いつ彼女らが我々を欺いて、島を、学園を破滅へ追い込むかわかりません。憎き『ラルヴァ』は総じて、そういう奴らですからねえ。 あの熊のように、島の無力な住人が一人一人蹂躙され、血塗られても良いのでしょうか? 女性や子供の肉塊が、商店街のアーケードを赤く染めるように転がって続く無残な光景が、現実となって良いのでしょうか? 学園に通う一般人の生徒が、犠牲となっても良いのでしょうか? 私は嫌です。断固として受け入れられないIFの世界です。 与田は気の済むまで語りつくすと、醒徒会長のほうを向いて、はっきりとこう言った。 「立浪姉妹を始末するべきです」 そして、今日この日の最高の笑みを、彼は見せる。 「人類の敵・脅威である立浪姉妹を、醒徒会が始末するべきです。・・・・・・いや、今こそ学園生の力を結集させて、強敵を始末するべきです」 「それが我々異能者のやるべきことなのです」 最初に戻る 【立浪姉妹の伝説】 作品 第一話 第二話 第三話 第四話 第五話 第六話 第七話 最終話 登場人物 立浪みか 立浪みき 遠藤雅 立浪みく 与田光一∥藤神門御鈴 登場ラルヴァ リンガ・ストーク ガリヴァー・リリパット マイク 血塗れ仔猫 関連項目 双葉学園 LINK トップページ 作品保管庫 登場キャラクター NPCキャラクター 今まで確認されたラルヴァ
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ある怠惰な教師の花天月地 ラノで読む 四月といえば花見。花見といえば桜。 日本人が共有するそんな観念がもたらす需要に従い、東京都双葉区、この学園学園島にも幾つかの桜の群生地が造られている。 学園都市島の要たる双葉学園、その中にもその一つがあるのだが、これが思ったより人気が無い。 教師や風紀委員の目が近すぎるため祭りにかこつけて羽目を外したい生徒が寄り付き難い、ただそれだけの理由だ。 他の群生地と比べるとやや規模は小さいが、かといって景観が明確に見劣りするというわけでもない。そんなわけで風景を静かに楽しみたい人間にとってはここは意外な穴場であった。 さて、始業式を皮切りとした年度初めの喧騒が一段落ついて間もないある日、その穴場たる桜並木の只中。人の気持ちを心地よく弛緩させる春めいた陽気、それにまるで似つかわしくない強張った面持ちでしゃがみこんでいる一人の少女がいた。 少女が手をかけ必死に身体を揺すっているのは地面に横たわる中年男、ややだらしないという評価を受けるであろう着崩したスーツが何より目に付く男である。 倒れた男を少女が介抱している…のではない。その証左とばかりに、 「う、う~ん…」 男の体がもぞもぞと揺れ、手足がぴんとのばされる。要するに男は単に昼寝をしていたのだ。 度重なる振動により形を成した意識が下した半ば反射的な命令に従い、男の瞼が開かれる。まず認識したのは競い合うように咲き乱れる薄紅色の花。そしてほっとした顔でこちらを見下ろす少女。 (…誰だっけ?) 記憶には無い。更なる情報を求めて少女の全身を見回す。 (うちの生徒、かぁ…) 少女の纏う制服から得られた事実に心中溜息をつく男。只の少女だったなら無視して昼寝の続きと決め込むつもりだったのだが、彼女が双葉学園の生徒となるとそうはいかない。 「あの…ひょっとしてここの先生ですか?」 「そうだよ~。入学したてで道にでも迷ったのかい?」 そう、生徒に声をかけられたとなると彼としては――教師である身としては無視するわけにはいかないのだ。 (まったく、今日の仕事はもう終わりと思ったんだけどねぇ) 「そんなことありません!というかそれどころじゃないですよ先生」 「ん?どういうことなのかな」 制服を見るに所属は中等部。太ってるというわけではないが頬を膨らませる様も相まって何となく丸っこいという印象を感じる。足の筋肉の付きぐあいから見るに運動部に入ってるというほどでもないけど運動は好きっぽい。 面倒くさいと思ってるくせに話をしながらこうやって観察してしまうあたり職業病だねぇ、顔には浮かべぬままそう自嘲する教師。そんな彼の内心に気付く由もなく、少女はあたふたと手を小刻みに動かしながら話を続けた。 「なんでかわかんないけどここから出れなくなってるんです。先生、何とかしてください!」 「う~む、なるほどねぇ。…まずはちょっと試してみようか」 「ひょっとしてあたしのこと疑ってるんですか…?」 「ごめんごめん、そういうつもりじゃないんだよ」 この桜並木は基本的に一本道で、片方が高等部の教室があるエリアに、反対側に行くと運動部の部室棟が集まるエリアに繋がっている。 (もしも出ることができたらどっちも人が多いから余計な用を抱え込まされそうで嫌だ~…なんて口にはできないよねぇ) 少女の言葉にあまり疑いは感じなかった。本来なら迷いようが無い一本道であり、少女の口調にも嘘は感じとれない。 それに、かすかにだがこの場自体からも違和感のようなものを感じる。 やれやれとぼやきつつ教師はようやく重い腰を上げ、大きく一つ伸びをして歩き出した。 低い枝に結びつけたハンカチをほどき、教師は肩をすくめてそれをポケットに突っ込む。目印として設置したものだったが、道なりに、また道を外れて何度も脱出を試み、全て同じこの場所に戻ってくるという結果が出たことでその役目は終わったのだ。 そんな彼の様を少女はそれ見たことかという表情で軽く睨んでいた。 この異常事態にまるで緊張が見られない姿を見て自分の話を本気で聞いていないんじゃないかと憤慨しているのだということは教師にも如実に分かったのだが、 (そういうつもりは無いんだけどねぇ) 実に割に合わないとまた心中でぼやき、教師は少女に向き直った。 「大体事情は把握したよ。推測だけど先生たちはこの桜並木のほぼ半分ほどの大きさの空間に閉じ込められていて外への脱出ができなくなっている。しかも電波も同じみたいだ」 念のために再び教師用の携帯端末を取り出し電話をかけてみるが結果は同じく「電波の届かない場所~」。それを見届け、教師は話を続ける。 「ラルヴァの能力による現象で似たようなものがあるって話は幾つか聞いたことがあるけど、多分違うんじゃないかな~」 「何でそう思うんですか?」 「もしこれがラルヴァの仕業なら、今の今まで何もしてこないってのはちょっと暢気すぎるんだよねぇ。なにしろここは異能者だらけで、しかも並のラルヴァなんか片手で捻り潰せそうなのが山ほどいるんだからさ」 「は、はあ…」 物騒な言葉に引き気味なのか腰が引けている少女がおずおずと口を開く。 「じゃ、じゃあ、異能者がこんなことしたんですか…?」 「ラルヴァの場合と一緒だね。先生たちを閉じ込めるだけで何もしてこないってもはやっぱりおかしい。でもまあ、こっちには理解できない理由で異能を使う人もいるから可能性が無いわけじゃないんだけどね~」 「そ、そうですか…だったらなんであたしたちはここから出れないんですか?」 「まあ概ね見当はついたよ。結論から言えば別に心配する必要もない。安心していいよ~」 「安心していいよ~なんて言われても…」 困り顔で言外に説明を求める少女。教師はぽりぽりとこめかみを掻いてぽつりと、 「説明がちょっと面倒だから省略ってことで…」 「駄目ですよ!」 「だよねぇ…」 こういう時に結城君がいてくれたら文句を言いつつも説明を代わってくれるんだけどねぇ。教師は大きく一つ溜息をつく。 「桜ってのは、綺麗なものだよねぇ」 桜の木を指差して――もっとも、四方どこを指差しても桜なのだが――言う教師。少女も促されるままに視線を動かす。 「そうですよね…」 そよ風に細枝がなびき、淡い色の桜花がさわさわと揺れる。少しの間黙って桜に見入っていた二人だったが、やがて教師が沈黙を破った。 「日本人は桜が大好き。さて、何でだと思う?」 「え、え、えーと…うーん…」 突然の質問に目を丸くした少女は口をへの字に曲げて考え込み、 「桜の花ってすぐにぱっと散っちゃうじゃないですか。それに他の花と違ってぼんやりとした薄い色だし。なんか儚いって感じがするんですよね。少なくともあたしはそこが好きです」 「うん、百点満点だよ~」 少女の答えに我が意を得たりと頷く教師。 「そう。儚さ。日本人は儚いものが大好きで、だから桜も大好き。和歌なんかでも儚く散るってことで死の象徴として描かれることも多いし、そういえば桜の木の下には死体が埋まってるって小説もあったよねぇ」 「はあ」 この話がどうつながっていくのか読めず曖昧に返すしかない少女。 「死の世界って言ってしまうと怖いイメージだけど、桜にはこの世の外の世界、ここではない世界を思い起こさせる、そんなイメージもあるんだよ。先生的にはこの世のものとは思えないくらい綺麗だから、って言う方がすきなんだけどね~」 「あ、あたしもそれなら分かります」 この小さな閉鎖世界には少女と教師と、後は一面の桜だけ。外の喧騒から一切隔離された静謐の中の桜からは、確かにこの世のものならざるものが宿っているかのような神秘的な雰囲気が立ち上っていた。 「そしてね、魂源力(アツィルト)ってのは人の意思を具象化する力なんだ。…まあ物凄くばっさりとした言い方だけどねぇ」 「?」 少女は突然の話題変換に首をひねる。 「そして、意思とは何も明確な意思だけじゃない。無意識の想いに反応しても不思議じゃないんだよ………ああ、もう疲れた。結論だけ言うよ」 「ええっ!?」 驚く少女をよそに教師は淡々と話を続けた。 「この閉鎖空間は桜に異界のイメージを投影する人間の無意識が、多数の異能者が集まるという条件によって島中に満ちた魂源力に反応して――まあ幾つかの偶然も加味されてのことだけど――偶発的に発生した、感覚に干渉する一種の空間結界だね。正に桜の花のように儚いものだから長くても半日もすれば消えてなくなる、だからのんびり待ってりゃいいよ~」 はいこれで解決、と宣言する教師。少女は慌てて教師に詰め寄り再び身体を揺さぶる。 「そんなの困りますよ!」 「人生は結構長いもんだよ、半日くらいの寄り道くらいどうってことないさ~。それとも何かどうしても急がなきゃいけない用事でもあるのかい?」 「え、あー、まあ…はい」 「ふーむ、ちょっと脅かしすぎたかなぁ。ここにはいい意味でお節介な人が多いからねぇ、きっとそんな誰かが動いてくれるさ。半日待たなくても警察の人が迎えに来てくれるよ」 「でも……おかあさんが…心配…するから……」 少女の勢いに押され宥めに入る教師だったが、勢いこそ削がれたものの少女の意思は変わる様子はない。少女の強い視線を受け流そうとするかのように視線をあちらこちらにそらす教師だったが、ついに諦めたように肩を落とし再び少女に向き合った。 「先生、この結界っての、どうにかできないんですか?」 「魂源力の流れに干渉できるほどの強力な異能者ならどうとでもできると思うけどね、今の先生の力じゃどうにもならないね。君は…異能者じゃないよね、先生の授業には来てない筈だし」 「はい、あたしは異能者なんかじゃないです」 教師が主に担当している授業、『異能習熟基礎』はごく僅かな例外を除いて、異能者として学園にやってきた、又は学園内で異能に覚醒した生徒にとっては必修の授業だ。やる気が無いように見える、というかぶっちゃけ有るか無いかで言えば無い方な教師であったが、それでも自分が受け持った生徒は(流石に全員と自信を持って言い切れるわけではないにしろ)ああこんな生徒が居たな、程度には最低でも記憶してはいる。もしもそれを彼に問い質したと仮定すれば、「教師というのはそういうもんですよ」とどこか諦観と達観が入り混じったような口調でそう答えるであろう。 ともあれ、目の前の少女は異能者ではなく、従って結界を解除する手段は取ることができない。少女はただ唇を噛みしめ俯いた。 「でも、ま、一つだけ手はないことはないんだけどね」 「!本当ですか!」 少女が勢い良く顔を上げて教師に迫る。教師は小さく頷き返し、再びポケットから教師用の携帯端末を取り出した。 「その前に確認しておかないとねぇ」 何度か通話を試みてみるがやはりどこにも繋がらない。 「一応君のほうからも試してもらえないかな?」 「あ、は、はい」 教師の言葉に一拍遅れて反応した少女は、しまった場所を忘れてしまったのか手をあちこちに入れて探し回った後、ようやく同じ形の携帯端末を取り出すと何度か電話をかけてみた。 「こっちもつながらないです…。それじゃ教えてもらえませんか?」 「いや、まだ確認は終わってないよ」 「え?」 よく分からないという顔をする少女。そんな彼女を眺め「厄介ごとにはあまり関わりたくはないんだけどねぇ」と口内で愚痴り、教師は決定的な言葉を口にする。 「なんとなくね、見当はついてるんだよ。でもねぇ、やっぱり事が事だけにしっかり確認はしておかないと僕の責任問題になりかねないからね。だからはっきりさせておこう」 教師のどこか眠たそうな瞳。それが、そのイメージは変わらぬまま重圧を纏ったものへとすりかわる。少女の脳裏に反射的にそんな感じの言葉にならない思考が湧きあがった。 「君が、何のためにここに来たラルヴァなのかを、ね」 「な、何言ってるんですか先生」 宙に浮かぶ言葉を吹き払ってしまおうとするかのように手を振り回しながら否定する少女。 「まずね、最初からどこかおかしいとは思ってたんだ。こんな状況なら見たこともない、こっちがそう言ってるだけで教師かどうかも分からない僕なんかより友達やクラスメートを頼ろうとするのが普通。それなのにさっき僕が促すまで電話しようとする素振りもなかったよね」 「ごめんなさい、あたし、実は転校したばっかりで友達いなくて…」 そう弁解をしようとする少女の言葉を断ち切り、教師は更に追求を続ける。 「他にも怪しいところもあるしちょっと鎌もかけてみたりしたんだけど、言い訳を一つ一つ聞いてくのも大変なんでさっさと決定的な証拠を言うよ」 「ええっ?」 「生徒に配られる携帯端末はご存知通話機能と生徒手帳の機能、更にその他諸々の機能を詰め込んだ便利なアイテムなんだ。こんなアイテムを教師が使っちゃいけない法もないから僕らもこれを使わせてもらってる。でもね、例えば生徒手帳の機能なんて教師にはいらないから、当然機能は生徒用のものとは若干違う。そして…機能も違うならやっぱり外見も違ってくる」 「……あ!!」 瞬く間に顔面蒼白になった少女の手から携帯端末が――教師のそれと寸分違わず同じ外見の携帯端末がこぼれ落ち、ぽん、と軽い音と共に煙に包まれて消える。 「ま、大方春の陽気に誘われた化け狸か化け狐の子供がうちの学園の連中を化かしたら友達に自慢できるってのではるばるやってきた。…そんなとこじゃないかなって思うんだけどねぇ」 「あ、あたし…お鍋にされて食べられちゃうんですか……?」 「…は?」 人の姿をし、人の言葉を解する存在を殺すならまだしも食べるという考えは教師には微塵も無かった。だが、どうやらビーストタイプらしいラルヴァの少女にとっては実に切実な懸念らしい。 「さっき、『ラルヴァは皆殺しだ』とか言ってる人たちに『かんゆう』とかで声をかけられました。…怖くなって逃げ出したらここに来て閉じ込められちゃいました」 ぽつりぽつりと語るラルヴァの少女の目から涙が一粒、二粒と流れ落ちる。 「…勝手に入ってきてごめんなさい。…先生に嘘ついてごめんなさい。…でも、あたし他に悪いことしてないんです。…だからどうかおうちに、おうちに帰してください…」 堰が切れたようにぼろぼろと泣きじゃくるラルヴァの少女の声はついさっきまでと比べ随分と幼く感じられた。背伸びしたい年頃なのかねぇ、と少女にかける言葉を考えつつ教師は冷静な観察者の視線でそう思う。 「そうだね、僕個人としては危ないことには関わりたくないけどね、これでも教師なんで生徒に危害を与えるようなものは見過ごすことはできないなぁ」 「そんなことするつもりないです!…ちょっと驚かせようと思っただけです…おとうさんやおかあさんにも…うぅ…きつく言われてます…」 自分自身の言葉で父母のことを思い出ししゃくりあげるラルヴァの少女。まいったな、と教師は頭を掻いた。彼の心情はむしろ逆、このラルヴァの少女を危険性のある存在とは思っていなかったのだ。彼女の言動に嘘はない、それが教師がこのラルヴァの少女を観察してきた結論だった。 「だったら好きにすればいいさ」 「………え」 ラルヴァの少女はぽかんと口を大きく開け、涙でぐちゃぐちゃになった顔を上げる。そんな彼女に教師は心を落ち着かせるための笑顔を作り言葉を繋げた。 「教師として学園の名誉のために発言させてもらえば、我らが双葉学園は友好的なラルヴァを拒絶することはないよ。確かにラルヴァ全体を敵視する人たちもいて勢いが強かった時もあったけどね、今はそうじゃない。そして、僕自身もその立場に賛同してる」 「本当…なんですか?」 「そうだよ」 「よかった…よかった…」 「無害なラルヴァをわざわざ探し出してまで狩りだすなんて手間なこと馬鹿馬鹿しくて付き合いきれない、ってのが僕の意見だね」とは彼は空気を呼んで口にはしなかった。それがどの程度影響したかはともかく、なんとかラルヴァの少女の強張った表情が少しほどけ、僅かながら安堵の色が浮かぶ。 「で、確認も済んだことだしお待ちかねのここから出る方法だけど…」 「もうちょっと後にします…急いで逃げ出さなくていいんだって安心したら気が抜けちゃって…」 「そう。まあせっかくここまで来たんだ、双葉学園が誇る名所を堪能するのも悪くないんじゃないかな~」 「はい!」 涙の跡を袖で拭ったラルヴァの少女は、今まで泣きじゃくっていたのが嘘のような笑顔で感嘆の声を上げながら辺り一面に咲き誇る桜に見入りはじめる。 (やれやれ) その姿を呆れ混じりに見届けた教師はようやく肩の荷を降ろしたような気分に浸りながらその場に腰を下ろしたのだった。 一陣の風が木々の間から吹きつけ、その身を桜色に染めて通り過ぎていく。 その風から振り落とされた無数の花弁がゆるりゆるりと辺り一帯に舞い降り始める。 「すごい、まるで雪みたいです!」 「怖い人たち」の中で正体を隠し続けるという精神的負荷から開放されたためか、ラルヴァの少女はとにかく高いテンションで無邪気に跳ね回っていた。 そんな彼女を鷹揚に――といえば聞こえがいいが実際はぼんやりと――眺めていた教師の方といえば… (うん、単純なパターンの繰り返しが眠気を誘発するというのは世界の真理だね~) ラルヴァの少女の活気の高まりと反比例するかのように眠気に苛まれ始めていた。 「ああ面倒だ面倒だ。それでも一仕事やっておかないと」 やる気を引きずりだすためにわざとらしい台詞を吐き、鞄の中を漁りはじめる教師。 「先生、何をしてるんですか?」 やがてそれに気付いたラルヴァの少女がとてとてと教師のほうに駆け寄る。 「これかい?これは紙飛行機さ。知らなかったかい?」 「あたしだってそのくらい知ってますよ」 呆れたように返すラルヴァの少女に「それは良かった」と答え、教師は手首だけの動きで紙飛行機を空に放った。 「うわー、良く飛びますね」 まだ桜の花弁がふわふわと漂う中を突っ切って静かに飛んでいく紙飛行機。 「あ、あれを拾ってきてくれないかな~」 驚きの表情で紙飛行機を視線で追いかけていたラルヴァの少女に教師はそう声をかける。 「分かりました!」 と嬉しそうに立ち上がり紙飛行機を追いかけて走り出したラルヴァの少女は、やがて眉を吊り上げて戻ってきた。 「あたし犬じゃありません!」 そう言いながらもしっかり紙飛行機を持って帰ってくれるあたり犬属性は十分ありそうだと思った教師だったが当然口には出さない。正直な話これ以上面倒ごとの種を増やすなんて真っ平ごめんだった。 「ま、これなら大丈夫そうだね」 「?」 「ここから出る方法さ。今のうちに教えておこうと思ってね。前に言ったとおり…言ったかな…まあいいや。この閉鎖空間は僕らの感覚を狂わせて堂々巡りさせるものなんだ。だから単独ではどうやっても脱出はできない。道先案内人がいないと…」 教師は手をのばしラルヴァの少女から紙飛行機を受け取った。 「…そう、この狂わされる感覚なんてどこにも無い紙飛行機が道先案内人さ。これでも僕は子供の頃はマエストロと呼ばれたほどの紙飛行機の天才でね~、こうやってこう、大体でいいんでこの手の動きを覚えてね」 そうやって教師が示した紙飛行機を投げる手の動きを真面目な顔で反復するラルヴァの少女。 「桜の木に邪魔されない道が真っ直ぐになってる場所で今の動きで僕が作って魂源力も込めておいたこの紙飛行機を投げれば、真っ直ぐに突き進んで君を閉鎖空間の外まで導いてくれるはずだよ」 「本当にありがとうございます、先生」 すまなそうな顔で頭を下げるラルヴァの少女。 「これも教師の仕事のうちってね。それより、それ」 と教師が指差したのは先程紙飛行機を飛ばした際挟んでいた、そしてラルヴァの少女が怒った際に地面に落ちた一枚の紙片。 「なんですか、これ?名刺ですか?先生の…『たいだ』って名前なんですね」 「…うん、いい不意打ちだったよ」 僅かに顔が引きつる教師。彼はその行状から名前をもじって「怠惰先生」とあだ名されていた。と言っても昨日今日の話ではないのでそう呼ばれるのも慣れきっているのではあるのだが、流石に無関係なラルヴァの少女から無垢な口調で呼ばれると少し堪えるらしい。 「僕の名前は『退田 裕穂(のきた ひろお)』って読むんだ。まあそれはどうでもいいんだけどね。もし誰かに君の正体がばれちゃってもいいようにその裏に君のことについて一筆書いておいたよ。持って行くといい」 慌てて名刺を裏返して確認したラルヴァの少女が、何度も頭を下げると大事そうにそれをポケットにしまう。それを確認し教師――裕穂は大きく一つのびをする。 「ま、世の中話が通じる人ばかりじゃないからお守りくらいに思ってあまり頼りきりにしないように。それじゃ僕はもう一眠りするから、遅くならないうちに帰るんだよ~」 「え?え?」 そう言い残すや否や、裕穂は困惑するラルヴァの少女をよそにその場に腰を下ろし鞄を枕にごろりと横になった。 ついていけなくて呆然とするラルヴァの少女と、だらしない寝顔の裕穂。 その状況はまるで二人が出会ったときのそれに回帰するかのようで、そしてあっという間に春眠と再びの邂逅を果たした裕穂の口からは更にその再現度を上げんとばかりに暢気な寝息が漏れだし始めたのだった。 密やかな夜風が裕穂の頬をくすぐり、十分に惰眠を満喫した教師に覚醒を促す。 「……もう、夜かぁ」 瞼を上げると、降り注ぐ淡い月光を受け止めてぼう、と光る桜の花。 花弁の淡い桜色が月光に溶け込む姿は昼の姿よりもなお神秘的、陳腐ではあるがそうとしか言いようのないものであった。 「夜桜ってのも乙なものだねぇ。これで酒さえあれば後は何もいらないってのも満更大げさな話でもないってことか~」 感慨深く首を振る、その視線の先に月光が地面に作り出す陰影で浮き彫りになった何かが留まる。 それを見やった裕穂の顔が困ったようにほころんだ。 ――このごおんはきっとわすれません。―― 「やれやれ、変化の術は合格でも国語は赤点だね、こりゃ」 どこか垢抜けない印象のある地面に刻まれた悪筆に、そして担任でもないのについ採点してしまう自分自身に二度呆れる裕穂。 「それに恩なんてかしこまらなくても、お互い様なのにさぁ」 立ち上がり埃を払った裕穂は少しだけ逡巡した後、高等部の方へ歩き出す。 空間結界がまだ残っているのか否か、裕穂にはそれを知覚する術はない。だが、裕穂はまだ結界が残っているとは微塵も思っていなかった。 幽霊の正体見たり枯れ尾花。人の想像力は、ただの木からすら幽霊を作り出してしまう。 だが、逆に言えば枯れ尾花を枯れ尾花としっかり認識しているのなら、そこに幽霊の現れる余地はない。 「…桜は桜。どんなに綺麗でも異界の入口になるって訳じゃないんだよねぇ」 名残惜しげに一度だけ振り返り、裕穂はぽつりと呟く。 そう、桜に対する異界を思わせるイメージが魂源力と反応して空間結界を作り出しているのだと、そう理屈も込みで把握している裕穂の前には空間結界が現れる余地はない。 正確性に欠ける喩えを承知で述べるなら、あるいはネバーランドへ行くことができるのは子供だけという言い方が近いのかもしれない。 実に日本人的な感性を持っていたラルヴァの少女――あるいは先祖のどこかで人間の血が混じっているという可能性も十分にありそうだ――がいたからこそ、空間結界の条件は満たされた。 ……そして、裕穂が午後の一時を余計なものに遮られず怠惰に過ごせる条件も。 道の先からかすかに犬の鳴き声が響いてきた。 聞き馴染みのある鳴き声だ。闇の向こうに未だ姿は見えないが、犬のリードを引いているであろう人物も想像がつく。 「あの子はあれで口うるさいからねぇ…」 裕穂は肩をすくめてぽりぽりとこめかみの辺りを掻いた。 多分顔を合わせるや否や「先生がいないせいで大変だったんですよ!」とかなんとかこっちを詰問するんだろう。 ならばこちらは「なに、侵入したラルヴァをどうにかこうにか足止めしてたんだよ」とでも答えてやろうか。 うん、何も嘘はついてない。 裕穂はにんまりと頷き、本日最後の仕事をさっさと終わらせるべく足を速めるのだった。 おわり トップに戻る 作品保管庫に戻る
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「ちっくしょう」 俺は携帯電話に送られてきたいくつものメールを見ながら溜息をついた。 メールはどれもこれも『今日のコンパには参加できません』と言ったような内容ばかりで、つまるところ俺はみんなにドタキャンされてしまったということである。 予約した居酒屋のテーブルに、ただ一人俺だけが座っていた。なんて寂しい状況なんだ。というかこれって新手のイジメじゃね? 大学生になってまでこんな惨めな思いをすることになるなんて思ってもいなかった。あいつら絶対このツケ払わしてやる。 このままここにいてもしょうがないと思った俺は、もう帰ろうと何も注文しないまま席を立った。 「おいそこのあんた。なんだ? ドタキャンでもされたのか? こっちで飲んでいかないか。奢るぜー! ははははは」 すると、隣の席に座っていた俺と同じ大学生ぐらいのニット帽の男が話しかけてきた。既に相当酔っぱらっているようで、大量の空ジョッキを店員さんが困った顔で片付けている。 「いや、俺は別に……」 知らない人といきなり酒を酌み交わせるほど俺はコミュ能力に長けていない。酔っ払いに絡まれるのは避けたいので、このまま通り過ぎようとしたが、 「いいから飲めって。ほら!」 そう言ってニット帽は無理矢理となりに俺を座らせて、ビールを飲ませやがった。 「なにするんだよ!」 「いいじゃないか。居酒屋に来て酒飲まずに帰るなんて罰当たりもいいところだぜ」 「くそ、わかったよ。飲めばいいんだろ」 俺も酒が嫌いなわけじゃない。一杯だけ付き合ってそのまま帰ろう。そう思って俺は残りのビールを一気飲みした。 「あんたも一人で飲んでるのか?」 俺はニット帽の男に尋ねた。広いテーブルに座っているのに一人で飲んでいるなんて妙だ。場所を取り過ぎじゃないか。 「いや、もうすぐ仲間二人が来るんだ。おれだけ先についちゃったから飲んで待ってるんだ。おっと、ほら、来たみたいだ」 ニット帽が居酒屋の入り口に指を差すと、二人の男が入ってきた。一人はサングラスの男で、もう一人はモヒカンの男である。ガラは悪そうだが、ニット帽と同じく俺と同じ二十歳過ぎぐらいだろう。双葉大学の学生だろうか。 「連れが来たなら俺はこれで」 と席を立とうとしたのだが、ニット帽は俺の方に手を回して逃がさないようにしていた。 「おいお前ら、こっちだ。待ちくたびれたぜ。さっさと飲もうや。新しい飲み友達もできたぞ!」 「おお。よろしくなー」 「はははは。今日は吐くまで飲むぞー」 その二人は俺のことを特に気にすることもなく、席について日本酒やら焼酎やら好き勝手に頼み始めた。 「はあ……」 俺は覚悟を決めてこいつらの酒に付き合うことにした。 「がははははは。そりゃねえよ。どんな女だそいつは!」 飲み始めて二時間後、酔いのせいもあるのか、俺はすっかりこの三人たちと馴染んでバカ話に花を咲かせていた。案外こうして話してみると気さくな連中で、結構面白いと俺は思った。 「そうだ、女って言えばよ」ニット帽の男はそう言って生ビールを一気飲みした後、話を続けた。「女と言えばお前らさあ、女のどの部分が好き?」 「どの部分ってどういうことだよ。ヒック」 俺が尋ねると、代わりにモヒカンが答えた。 「そりゃおめえ、女のいいところさ。俺は断然、胸だ。なんといっても女の良さは全部おっぱいで決まるね!」 モヒカンはぼいんぼいんっと胸の前で巨乳を表すジェスチャーをしていた。確かにおっぱいはいい。俺は生まれて二十年、女性のおっぱいなんて母親のしか知らないが、それでもいつか触ってみたいと夢見ている。 「胸かー。いいよな。あのぷよんっとした弾力。あれは女にしかない物だ。見てるだけでも涎が出てくるし、形がいいのは我慢できずにしゃぶりつきたくなってくるね」 サングラスは下品なことを言ってひひひと笑った。しかし今日は周りに女性客もいないので、安心して下ネタだって言えるというものだ。俺もこうしてはめを外した話をするのは久しぶりなのでテンションが上がってきた。俺も話に入って女の子の好きな部分を話す。 「俺はあれだな、おっぱいよりお尻がいい。こうきゅっと締まった感じの」 頭の中で縞々パンツを穿いた女の子のお尻を俺はイメージする。小尻というのはいい。ずっと触っていたり、顔を埋めたりしたくなる。 俺はしたり顔で尻について語っていたが、三人はぽかんとした顔になっていた。 「尻……尻か。わっかんねえな」 「まあ。肉付きのいい尻ならわからんでもないが……」 「小尻ねえ。何がいいのかさっぱりわからん。尻なんか舐めるのも嫌だねおれは」 三人はう~んと唸っていた。なんだかバカにされている気がする。 「じゃああんたはどこがいいんだよ」 俺はニット帽を睨み、酒を呷る。ニット帽は「おれか?」と腕を組み、しばし考えていた。 「そうだな。おれはやっぱり――太ももだ!」 カッと目を見開き、ニット帽は自信満々に言った。 「ふともも?」 「そうだ。女の短いスカートから伸びるあの足。肌は白ければ白いほどいい。柔らかさと筋肉の堅さが生み出す芸術的な曲線。あれほど素晴らしい部分は他にはあるまい」 つらつらとニット帽は太ももの魅力について語った。確かに女子高生の太ももというものは難とも言えないエロさを感じる。変にパンツが丸見えになるよりも、スカートからチラチラと太ももが覗く方がよっぽどそそられるだろう。 「じゃあ俺はうなじがいい!」 モヒカンはニット帽に負けじとそう言った。 「またお前……そんなところいいか?」 「いやあ、骨にそって舌を這わせながら背中の肉を甘噛みしていくのが好きなんだ。たまんねえぜ」 「俺はベタに二の腕だな。特にぽっちゃりしている女の二の腕はいい、最高だ」 「ぽっちゃり系か。ならおれはぽっちゃりした子のお腹がいいな。贅肉だらけだが、たまには味わいたい」 「あーいいなー。久々に女の子とよろしくしたいねー!」 わいわいと三人は盛り上がり、俺もどんどん楽しくなってきた。こうして女性に対しての嗜好を話し合うなんてことはあまりしてこなかった。今日は酒の力もあるが、こいつらと話しているのが楽しくてしょうがない。 こうして気兼ねなくこういう話が出来るのが本当の友達かもしれないと、俺は仲のよさそうな三人組を見つめた。 俺もこいつらと仲良くなりたい。今夜限りの、居酒屋だけの付きあいだけではなく、これからも大学で楽しくやれたらいいな、と思った。 だけどそんなこと直接言うのも気恥ずかしい。こんなこと考えるのも酒の飲み過ぎのせいだろうか。少し頭を冷やそう。 「悪い。ちょっとトイレ行ってくる」 「おーうんこかーうんこなのかー」 「吐くなよ! 絶対吐くなよ! 俺の奢りだから勿体ないだろ!」 「げははは。無茶言うなっての」 三人組の笑い声を背に、俺はトイレへと向かうために席を立つ。すると、居酒屋の入り口から一人の客がやってくるのが見えた。 その客の姿はあまりにも居酒屋という空間に場違いであった。 どう見ても二十歳未満の少女だ。しかも制服姿である。何故か彼女の手には刀が二つ、握られていた。 というか酒のせいですぐに頭が回らなかったが、彼女の顔を俺は知っている。 「あ――」 と俺が言いかけた瞬間、少女は地面を蹴り、凄まじいスピードで駆け出した。その勢いはつむじ風の如くで、目で追うことも難しい。 少女はとんっと跳躍したかと思うと、俺のすぐ後ろの三人組が座っているテーブルへと着地した。 そして男たち三人が反応を示すよりも早く少女は抜き身の刀を閃光のように降り、同時に彼ら三人の首が宙を舞った。 「え? え?」 突然のことに混乱している間に、俺は三人組の首の断面から噴水のように噴き出た血を全身に浴びてしまった。思考が停止してしまう。 「な、なんで……?」 俺は悲鳴も上げることもできずに床に転がった三つの首を見つめた。 だがそこにあったのはさっきまでの人間の顔ではなく、恐ろしい鬼の顔をした生首だった。大きな牙がずらりと並んでいる。 「すまないな驚かせて。だが逃がすわけにも行かずに素早く決着をつける必要があったのだ。許してくれ」 茫然とする俺の肩をぽんと肩を叩いた。少女の腕には『風紀委員』の腕章がある。彼女は風紀委員長の愛洲《あいす》等華《などか》だった。 「こ、こいつらはいったい……?」 必死にそれだけの言葉を押し出すと、愛洲は説明をしてくれた。 「彼らは人食い鬼だ。しかもか弱い女の子ばかりを主食にしていて、全国で指名手配されていたのだ。人間に擬態できるため今まで逃げ延びてきたようだ。もっとも、異能者には通用しない擬態だからな、双葉区で目撃情報があったから風紀委員たちで追っていたのだ。まさかこんなところでのうのうと酒を飲んでいるとは思わなかったが」 もうすぐ応援が来てラルヴァの後処理をしてくれるだろうと言って、愛洲は刀の血をふき取っていた。 彼女の説明を聞いて俺は寒気を感じた。一気に酔いが冷め、嫌悪感だけが湧きあがっている。 そして俺は悟った。 彼らが言っていた女の子の好きな部分というのが、性癖やフェティシズムではなく、ただ純粋に“食べておいしい部分”を楽しそうに語っていただけだったということに。 終 トップに戻る 作品保管庫に戻る
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ある梅雨の日の雨宿りの一幕 ラノで読む おいおい。 おいってば。 ああ、やっと気付いてくれた。 おれだよ、そう、おれ。 …そんな顔しないでくれよ。 確かにあんたはおれのこと知らないだろうし、…実をいうとおれもそうなんだけどさ。 別に取って喰やぁしねえよ。見りゃわかんだろ? はは、話が早くて助かる。さすが双葉学園生ってか、そういう飲み込みの速さは大好きだぜ。 え?何の用かって? まあ、別に大した用じゃないんだけど。 そこ。あんたが今立ってるそこ。 そこは雨脚が強くなると一気に降りこんでくるんだ。 せっかく雨宿りに来たってのにずぶ濡れになるのも可哀想だろ?だからさ。 そうそう、もそっと奥。うん、そこなら大丈夫。 なに、礼はいいってことよ。 あー、なんとなく、かねえ。どうせこれといってすることもないし。 仕事? 失敬な。ちゃんとしてるさ。 あんただって授業中ずっと授業に集中してるわけでもないんだろ? それといっしょ。 仕事しながらでも色々観察したり考えにふけったりする余裕ぐらいあるんだよ。OK? …いや、別に怒ってるわけじゃないんだがね。 だからそんな顔しなくても…ってうおっと。 な。 だからおれの言うとおりにして良かったろ? まあ当のおれはごらんの有様なんだけど。 別にいいさ、濡れ鼠になったところで死ぬわけじゃない。 避けられない運命だと割り切ってしまえば気も楽さ。 …「梅雨が早く終わったらいいのに」かぁ。確かに。まあそうなんだろうねえ。 ん?おれは雨が嫌いじゃないのかって? うーん。難しい質問だなあ。 確かにおれだって雨が好きなわけじゃない。 今のようにずぶ濡れになったら体が重くて鬱陶しいし、雨がざあざあ降りだと負けた気がするし。 それよりなにより、本能的に好きになれない。 そう、おれだってあんたと同じく梅雨が終わってしまえってずっと願ってるんだ。 でもなあ。 そうやって本当に梅雨が終わってしまったら、おれは一体どうなってしまう? おれの宿敵で、ずっと奴のことばかり考え続けてきた、そんな梅雨という存在が無くなるってことはさ。 つまりはおれ自身が無くなってしまうってことなんだ。 それを考えると、もうあの頃のように単純に「早く天気になーれ」なんて言えねえってわけよ。分かる? …分かんねえだろうなあ。 まあいいんだけどさ。最初から分かるだろうとは思ってなかったし。 ? …むう…ふぅむ。 ああ、あんた。 もうじき大降りになるぜ。 おそらくは夜まで続くね、こりゃ。 多少濡れるかもしれないがね、今のうちに帰ったほうがいいな。 なんで分かるのかって? わかるさ。このくらい。 これでもおれは梅雨を終わらせるために生まれてきたようなもんなんだぜ。 雨脚の動向を見る程度はなんとでもなるさ。 …ま、お察しの通りそれが精一杯なんだけどな。 大体、異能とかすげー力を持ってるわけでもないのに日本中を覆い尽くす梅雨をどうにかしろっておれの手には余るっつーの。 ……そっか。 ん、いやさ。 おれってちったああんたの役に立てたかい? …そうかい、ありがとな。 情けないことに今ようやく気付いたんだけどさ。 何でもいいから誰かの役に立ちたかったんだよ。 人様の「梅雨が早く終わってほしい」ってな願いを受けてこそのおれなのに、どうにも果たせる見込みもないし。 このままじゃおれの生きてきた意味ってなんなんだ?ってなことになっちまう。 だから、ありがとな。 悔いが残らないって言やあ嘘にはなるが、何かを成し遂げることができておれは十分に満足できた。 ま、ほんとにちっぽけなことなんだけど、おれには丁度いいってことかね。 「諦めるのはまだ早い」?思ったよりいい奴だねえ、あんた。 でも、ま、もう終わりなんよ。 おめでとう、この最後の一暴れが終わったらいよいよ梅雨明けだ。おれも晴れてお役御免って訳。 だからさ、もう行ってくれよ。 せっかく予報をくれてやったのにあんたがぐずぐずしてて大降りにぶち当たっちゃあこっちも浮かばれない。 ああもう。 だからそんな顔しないでくれって。 さっきも言ったけど、おれはまあ十分満足してんだよ。 …わかったわかった。強いて言うなら…そうだな、時々思い出してくれりゃあ、望外の幸せって奴だねえ。 自分の役目に途方に暮れて伝法な口調だけ達者になった、そんなてるてる坊主の形をしたラルヴァのことを、さ。 それじゃ、元気でな。 風邪引くんじゃねえぞ。 トップに戻る 作品保管庫に戻る